百貨店かく闘うべし

革新を続けて老舗になった百貨店

百貨店がバブル以来の好調と聞こえてきます。しかしこれは都心型の百貨店のみの話で郊外や地方百貨店の苦境は依然悪化の一途を辿っています。絶好調の中身は「インバウンド景気」が唯一の原因で、残念ながら自主努力による好調要因は見当たりません。一種の神風のおかげです。

嘗て百貨店は世界の良いものを逸早く取り入れ、それも商品に限らず、売り場や見せ方売り方まで革新を続けてきたのに、最近の30年で百貨店が他業態に先駆け取り入れたものなど、何一つないのです。革新どころか過去の亡霊に捕らわれているとしか言いようがない状況です。

経済全体の動きをみるに、株価は上昇を続けて36000円台を付け、輸出企業を中心にこれまた絶好調と言えます。しかしこれは言わずもがな『円安』効果以外のなにものでもありません。輸出企業は未曽有の好決算を誇る一方物価も高騰し、それに見合う賃上げは為されておりません。年金も見直されましたが物価高騰レベルには達せず、実質支給減となっています。企業が圧倒的好景気なのに消費者の生活は良くなっているとは言えず、社会全体に閉塞感が満ち溢れています。

何故なら好調とされる企業は輸出業やインバウンド関連のみで、物価上昇に見合う賃金の上昇は得られず、日銀が円高に舵を切ったとたん一挙に不景気が襲ってくるのが明らかだからです。インバウンドもラグジュアリーブランドのみが好調で、日本経済そのものに影響を与えている訳ではないからです。この景況感が健全なものではなく、危うい外的要因の上で成り立っているという事実を消費者は認識しているからです。

何故百貨店を始め日本経済はこの体たらくなのでしょうか。

基幹産業の自動車が、電気自動車へ世界的規模のシフト転換に一挙に進む事を見誤り、ハイブリット車へ寄り道し市場を食われたこと、半導体が韓国や台湾の安価なメーカーにシェアーを奪われたこと、露対ウクライナ戦争の煽りで物流の滞りや経費増、コロナ禍による流通のストップ、など多種多様な原因が挙げられます。どれも合ってはいるのでしょうが、それだけではないような気がいたします。

百貨店も消化仕入れが9割を超え、場所貸し業と化し、商品も売場創りも販売員までさえも他人任せとなった結果同質化し、果てはネット販売対策に大きく後れを取り、未だに実効ある対策やネット販売を取り込むことができていません。特に先取先取りの気風で業態を確立させた時代から、いつの間にか新しい商材の発掘や開発、消費者がワクワクするイベントの消滅、効率優先の商品仕入れと、自らの立ち位置を見失い典型的な活力を失った業態に成り下がっていたのです。消費の王者と言われ消費者動向指数は当の昔にスーパーに奪われ、家電や薬品、ファッションまで専門大店に奪われてしまい、わざわざ百貨店に行かなければ手に入らないものなど無くなっているにも関わらず、新しいコトへのチャレンジが全く為されていないのです。

2001年政府は1990年代のインターネット革命を背景に、通信網の整備や人材育成、電子商取引(EC)を推進し、行政や産業のIT化を狙ったはずでした。確かにインターネット3000万世帯、超高速インターネット世帯1000万世帯に整備するという目標こそ達成されましたが、ITを活用した新産業の創出や人材の育成はおろそかにされ、デジタル化の先導役として期待されたエレクトニクス産業が韓国や中国勢の台頭で事業撤退や再編縮小に追われたため、攻めのIT投資や新たなビジネスモデルへの構造転換を進められませんでした。

その為、デジタルベンチャーを育てる機運に欠け、銀行はベンチャー企業に「黒字化してから来てください」などと言う始末で、更には貸し剥がしまで行い日本のベンチャー企業は海外と比べ圧倒的に不利な状況下で戦わずを得ず、大きく育つ企業はほとんど無いといった状況下にあります。

一方大手上場企業は既存の技術の発展のみに気を配り、新しい使い方や可能性の発見をお座なりにしました。結果、世界に誇るべき技術はガラパゴス化し、世界に伸びるヴェンチャー企業との提携は勿論、共同開発や新事業領域の開発など全く世界に後れを取る羽目になったのです。

そのよい例が、2001年に世界シェアー40%を誇った大型汎用機も、リスクを取って赤字覚悟の投資を続けたアマゾンの「クラウド」にその座をいとも簡単に奪われもはや汎用機は過去の遺物と化しています。クラウドは世界シェアー66%を誇り日本企業がそのクラウドに支払う総額は10兆円にもなろうとしています。

あるTV番組で富士通の技術担当役員が話していましたが、「我々は技術者の宿命だと思いますが、より良い性能のモノを創りたい、創れば勝ちという欲求のみに全力を注ぎ、消費者が使いこなせない程の高性能半導体で更に進化したソフトや機能を搭載した新型の安価なPCに駆逐される運命となったのです。」。消費者サイドのニーズ対応ではなく、自己満足のなせる結果だったのです。

NTTのiモードも世界に冠たる最先端技術で、携帯電話機を携帯PCに変えた画期的な技術でしたがソフトウェアーとして開発するのではなく、機器として製造販売することに力点を置いたことが経営層の大いなる判断ミスでした。apple社からソフトウェアーとして一緒に提携して世界の携帯電話のソフトウェアーを牛耳らないかという誘いに、「弱小メーカーと組んでも販売に寄与しない」と役員会はapple社からの申し出を拒否したそうです。apple社はその後インテル社と組みIOTの発想を膨らませ、独自で囲い込み、自社開発に拘る日本企業と圧倒的な差を広げていくのです。

この問題の本質は価格戦争ではなく、完全に次世代の消費者ニーズの読み違えと、製造業に固執し、ソフトウェア業に進化・転換できなかった日本企業の前近代性が大きな壁として存在したことなのです。特に時代を読みこれからの自社の発展の為の方向性を読むのが仕事である役員達の責任は大変重要であり、既得権益の中ので安全第一主義でいれば絶対大丈夫と考えているのでは先は長くないでしょう。

今日みたいな技術革命の時代は、それを「今までとは違ってどう取り入れ、どう使い、どう売り込むか」といった発想が無ければ成長・発展どころか置き去りにされ、いずれ他企業に吸収されるのが落ちでしょう。今の技術革命は蒸気機関の発明が時代を大きく変えていったレベルを遥かに凌ぐものであります。技術者も消費者もその活用方法を模索している状況下で、新しい発想力を持つ者がその領域を独占できるのです。其の独占が持つ意味の凄さは想像を大きく超えるものでしょう。誰も想像できるレベルでは無いのです

新技術は、消費者が「何」を「どうやって見せ・知らせ・教え」「どう使ったら」より便利で快適な生活が送れるかという視点が無ければ成り立たないのです。発明者でも気づかない使い方や発展の仕方、利用の仕方があり、誰かその活用法を思いついた企業や人がその領域を独占しうるのです。無駄な報告ばかりで議論しない会議ばかり開いたり、自社の「独自性」より「横並び」ばかり選んでいる企業や役員達ではあらゆる業種業態で生き残りは望めないでしょう。

私は「今の時代は明治維新」だと話をします。海外から今迄見たこともない新技術がやってきて、ガス灯や電気が付き、機関車が走り、電信や電報。工場には蒸気機関で動く機械が据えられ、大量生産が可能化した時代。まさに今のIT革命に匹敵する大変革の時代です。現在と違うのは時の政府が先見の明があり、今までの習慣や旧弊に捕らわれず、自ら積極的に欧米文化を取り入れ海外に負けない技術開発に邁進したことです。特に軍事面ではわずか50年程で世界第1位の技術立国になりました。民生面でも義務教育や病院の近代化、身分制度の廃止など世界に先駆けて官民一体となり、欧米諸国の進んだ文化・技術をとりいれました。。400年続いた武士社会がいとも簡単に崩壊し、近代化を図れたのはひとえに官民共に若い世代が社会をリードしたことです。時代の変化を理解できない年寄りたちは何の寄与もせず、次代の彼方に消し去られたのです。

これを現在に当てはめると、「前年踏襲主義」「安全主義」「他社事例」など常に横並びの発想ばかりでリスクを取る経営が為されてはいません。初めから失敗すると判っているものに投資はあり得為せんが、リスクが在っても可能性が大きいものに対しては挑む姿勢が現在のわが国には見られないのです。「失敗して赤字に成ったら責任問題」「赤字になって株価が下がったら投資家に面目がない」などの話しか日本企業の役員達からは聞こえてきません。

百貨店は明治維新の混乱期をチャンスと捉え、積極的に外国製品を逸早く紹介・販売したり、海外の万博へ出店し日本の伝統工芸品や文化を提供してまいりました。靴のまま入れる店舗展開をしたり、定価販売を取り入れたり、アイデアの宝庫だったのに、今や完全に時代と消費者ニーズに取り残されてしまった結果が今日なのです。

新しい販売法右方であったネット販売も活用できず、売り上げを左右するラグジュアリーブランドを育てたのは百貨店なのにもかかわらず、逆に店の一等地を明け渡し、彼らに店最大の宝である顧客名簿や外商顧客句を奪われてしまったにも拘らず、彼らの言いなりになっています。

百貨店もインバウンド景気に頼らず、今後の社会や消費者ニーズを見据え、「どうあるべきか」を今こそ考える時代だと思います。特に地方百貨店はインバウンドの恩恵を被る事が無い為、即急に抜本的対策を練る必要が有ります。もう一度革新を興し、前年踏襲主義から脱皮し、チャレンジし続ける事だけが百貨店の生き残れる道だと信じます。