コロナ禍からの復興2021№10

では私たち、零細、弱小企業はどうしたらよいのでしょう。

答えは今迄述べてきたように、人々の生活に本当に役に立つ商品を開発し、人々の生活をより便利に豊かにすることを考え、人々の求めるコトをモノを提供することです。その提供の仕方も個々の人々の嗜好やニーズに沿ったやり方で行うべきなのです。

自分の顧客をより深く知り、顧客の望むコトやモノを提供するといったごくごく当たり前で、小売りの原点へ回帰すべきなのです。売り手の身勝手な論理のままでは消費者は振り向いてはくれません。

100人居れば100人が望むモノは異なります。今迄の「大量生産大量販売で安くて良いからどんどん売る」というニーズは一部の商材でしか生き残れません。大多数は「自然や他人に優しく、必要以上に造らず持たず、無駄にすることなく再生してまた使う」リサイクル社会を望んでいるということを理解すべきです。

必要以上に資源を使い、必要以上に売りまくり、必要以上に地球を汚し、人々の価値を資産で決めることを早くやめなければなりません。今のIT関連で成功した人々は桁違いの資産を保有していますが、ZOZO〇ウンやSOFT〇ANKの社長達は一生使いきれない資産をさらに増やすためのマネーゲームに浮かれ、社会の為に使おうとはしていません。

教育財団を造っても将来の優秀な人材を囲い込むためためだけのものであったり、正月に100万円を小遣いとして猿に餌を与えるような真似をしたり、誠に品がありません。昔の金持ちは篤志家で自分の街に学校や橋を造ったり、貧困家庭の為に寮を作ったり、片親を積極的に雇ったり、いろいろな社会還元を継続的に行ってきました。

良い例は明治維新の際、身分や出自に関係なく積極的に若い世代を藩主や金持ちが支援し、その豊富な資金を基に明治維新を成し遂げたことを鑑みれば、今の金持ちは成り上がりと馬鹿にされても仕方が無いでしょう。

私達はまず自社の製品開発手法から見直し、製品を見直し、販売方法を見直し、今の消費者に望まれている商品か否か、まずそこから考え直す必要があると思います。時代に合わなければ個々どんなに売れようが意味がありません。また、売れれば良いとばかり、売り安い安価な、けれど品質がそれなりの商品では売れないでしょう。消費者は自分にとって本当に価値があるか無いか、いつの時代も嗅ぎ分けるものなのです。

そのためには新しいAIを活用した新マーケティング技術(感性メタデータマーケティング)を駆使し、本当に消費者が望んでいるものを見分け、提案し、納得できたものを生産するという新しいモノ創りを目指すべきなのです。

ただ売れれば良い、儲かれば良いといった、あるいはお客様は株主で目の前の顧客は収入を得るための道具に過ぎないといった株主至上主義はもはや消費者に受け入れられるはずがありません。18世紀の奴隷商人ではあるまいしましてや古い帝国主義でもあり得ないのは明白な事実で、企業が自社の株主の株主のためだけに利益のみを追及するというのは消費者に受け入れられるはずが無いのです。

それゆえ、ただ商品を生産・製作するのではなく、その製造過程において、地球に優しい、人々に優しい、コトに配慮することはもちろん過剰生産して無駄にすることなく、適宜適量生産を行う必要があります。AIを活用して顧客ニーズの完全把握・顧客ニーズの真髄に適合した商品製作・顧客の潜在意識にある理想のコーディネート提案などを行うことが可能なのです。

ただただ売り上げ拡大を追求するのではなく、無駄なく利益を確保するという考え方が、消費者のライフスタイル指向のニーズに合致するのです。

コロナ禍後は人を集めて販売するという古来からの販売手法がヴァーチャルの中に移行していきます。ですから零細企業と言えどもAIやネット販売は無視することはできません。それどころかヴァーチャル空間内では大企業と互角に渡り合うことができます。

人々のニーズを探るために莫大な広告料を大企業は投入しますが、その手法はもはや時代遅れです。消費者は自分のやり方で好きな商品を検索し、自分で探しに行きます。そこにはみんなが持っているとか、知っているとか行った商品だけでなく、自分の好みに合っているとか、自分しか知らないといった事がキーワードに成っているのです。

それゆえ、各メーカーは消費者ニーズに対して自社の特徴・優位性などを明確に訴えることで、「この指とまれ」とサインを出すことになるのです。さらにここでしか買えない・売っていない・予約制などであれば消費者の興味を引くことは間違いありません。各メーカーは自社製品がいかに「他社と違うか」という点をアピールすればよいのです。消費者は敏感にそのような情報を求めて来ます。

新しい感性メタデータ分析による消費者ニーズ分析は、驚くほど消費者の心の深層にあるニーズを暴いてくれます。100%満足していなくても「しょうがなく」あるいは「他に無いから」といった理由で購入していたものが「正にこれが欲しかった」という商品が提供されるのです。今迄は大企業の一等地にある大きな売り場に圧倒され、場末の片隅にある個人店舗では全く注目されなかった商品が、コンセプトさえよければ、消費者ニーズに合えば、消費者はきっと探し当ててくれるのです。

無印良品やユニクロは消費者ニーズに合致していたからこそ(価格であったり、品質であったり、デザイン流行であったり)消費者に圧倒的な支持を得たのです。その根本は消費者の臨むものをしっかり把握し、それを具現化した商品を造ったに他なりません。

これからの小売りはマス相手ではなく、自社顧客の好みやニーズを徹底して把握し、消費者の潜在的ニーズをほりおこす商品を開発すべきなのです。その為には消費者のニーズを把握するという小売りの原点を再度認識すべきなのです。過去に売れた商品や、自社の利益に貢献するといった手前勝手な理論で顧客を計ってはいけないのです

 

コロナ禍からの復興2021№11

三度目の緊急事態宣言が出されています。人々は慣れてしまい盛り場はどこへ行っても多くの人出があります。東京がダメなら埼玉や神奈川に飲みに出かけたり、子供が我慢できないからと観光地に繰り出したり完全に全体的に気が緩んでいる感じは否めません。

こんな状況下で律儀に店を閉めている店舗もあれば、もう我慢ならんとばかり罰金払っても営業をする店舗もあります。飲食業界は酒類提供自粛で壊滅的な打撃を受けています。お酒を飲む店は当然、食事の際にも酒が飲めないとなれば外食は営業しても利益が出ないでしょう。

今回自粛対象に成った大型商業施設はどうでしょう。スーパーは生活必需品ということで全店開業していますが百貨店は贅沢品を扱っているということで食品フロア以外は一部の雑貨売り場を除いて閉店を余儀なくされています。百貨店協会会長が自粛対象外にすべく必死で訴えていましたが、一般人の共感は得られず、あえなく閉店の憂き目に合っています。

こんな百貨店のコロナ対応は各社まちまちです。

三越伊勢丹は売り場全体の商品が買えるネット販売へ大きくシフトしようとしています。2021年度のネット売上目標値は350億円で業界1位ですが全売り上げの4%に過ぎません。これでは実店舗の苦戦を止めるには程遠いと思われます。大丸は場所貸し事業への転換を急ぎ、百貨店売り上げは総額の半分をきっています。しかし買収したPARCOなどは黒字ですが大金を投じた銀座SIXなどは撤退テナントが後を絶たず、撤退したテナントに隣接している店舗に売り場を拡張してもらい体裁を繕っている状況です。高島屋は東神開発を中心にした街づくりと称する開発を推進していますが、日本橋はビル一つをテナント化しただけで「街づくり」とは笑わせてくれます。それも「街づくり」の根本コンセプトが陳腐なため、ただのテナントビル化しています。

これらの大手百貨店をはじめ全ての百貨店はひたすらコロナ禍が過去るのを祈るばかりで、具体的対策を模索すらしていません。しかしよく考えてみるとコロナ禍で顧客が減ったと思い込んでいますが、コロナの前から売り上げはインバウンド頼みでそれを外すと全ての百貨店が前年割れの状態だったのです。インバウンドの恩恵を受けない地方百貨店は確かに観光客や修学旅行生によって息を繋いでいましたが、ここにきてそれすら無くなりもはや時間の問題という店舗がほとんどです。

昨年山形県の大沼が突然閉店し、百貨店の無い県が初めて誕生し大騒ぎになりましたが、これからはほとんどの県から百貨店は無くなっていくでしょう。かろうじて県庁所在地に残れば幸いでしょう。

何故百貨店はここまで衰退してしまったのでしょう。

最大の要因は時代の変化を身をもって否定したことです。私はIT革命を明治維新と同じと考えています。それは400年間も続いた生活が一朝一夕に変わるはずが無いと誰もが思い、押し寄せる時代の変革に無関心や根拠なく安心感で無視したあの時と全く持って同じだからです。武士の時代が、農民によって覆される等誰も信じていなかったのです。IT技術革新が始まった時、当時の役員はその意味を理解しようとせず、否定から入ったのです、「こんなものは一過性ですぐ終わる」と。結果対応が遅れ、プラットフォーム企業が1000億単位で投資をして技術革新を進めているのに、5億~10億レベルの投資で紙媒体をネット化しただけで「リアルとネットの融合を果たした」などと寝言を言っている有様です。AI対応、ネット対応に大きく後れを取ったことが最大の理由です。

二つ目の要因は、取引先の上に胡坐をかいて自ら努力することを忘れ、自ら汗をかき商品を探し、造り、販売することを止めてしまったことです。結果商品の良し悪し、コストから積み上げた適正価格、話題の商品などを判断することができなくなり、取引先におんぶにだっこで、ひたすら中間搾取を続けたためであります。世の中の新しい流れであるB to BやB to C、 C to C等の流れには全くついていけない時代遅れの「販売構造」に成ってしまったのです。消化仕入れでリスクは全て取引先持ちなんて、続くはずがありません。コロナ禍で取引先が苦しんでいるのに共に苦難を分かち合おうと仕入れ率を挙げたという話は一切聞きません。自分だけが良ければ取引先等いくらでもいるといったおごり以外のなにものでもありません。いずれしっぺ返しを取引先から食らうことは明らかです。これから中間搾取業態は生き残れないことは確実です。

三つめは消費者のニーズを完全に読み間違えていることです。他業種で売れているブランドがあればターゲットもグレードも違う顧客対象でも構わず導入しようとします。目先の売上確保が最優先なのです。品質が良くて安いに越したことはありませんが、消費者はファッション全般にそれを求めている訳ではないのです。消費者は「百貨店は品質は良いけど高い」と考えているのか「百貨店は高いけれど品質は良い」と考えているのかどう捉えるかによってその意味合いは大きく変わります。今の多くの百貨店マンは自分の生活水準でモノを考えるため、「安くないと売れない」という幻想に惑わされ、UNIQLOをはじめ量販家電、ニトリ、果てはドンキホーテまで招聘し集客を頼ろうとしています。しかし低価格量販店指向の顧客にはどんなに低価格志向を百貨店が行っても、百貨店のファンに成るにはハードルが高すぎるのです。地方の百貨店は競合が郊外型量販店なのでUNIQLO等の招聘も有効性があると思いますが、都心店では全く意味が無い施策です。

特にこの三つめの理由は百貨店の存在意義を問うもので、大変重要な課題であります。長年に渡り安易な消化仕入れに頼ってきた結果、現場で汗を掻きながらお客様のニーズを理解する社員が居なくなり、サラリーマン化した社員は新しいことにチャレンジして失敗することを恐れ、無難な前年踏襲主義へ陥っていったのです。結果消費者が百貨店に求めるニーズではなく世の中ではやった安価な商品や安価なブランド導入に血道をあげ、百貨店の中にユニクロや似鳥の導入すら行ったのです。顧客が百貨店とユニクロに求めるものが違うというのに!

このような理由から百貨店は顧客のニーズから急速に乖離していったのです。頼みの綱の取り引き先がモノも人も高い歩率も払えなくなり撤退を始めた結果、売場に穴が開くどころかサッカー場ができてしまっています。しかしこの期に及んでもA社がダメならB社をと、必死で消化仕入れ先を探すのが関の山となっているのです。百貨店自体では何ら手を打つことはしていないのです。消費者が百貨店に何を臨んでいるのか全く見えていないのです。

或る経営者はこれからはルイヴィトンを目指すべきだと言っています。毎シーズン毎に新作を出し常に売り場が新鮮だからこれを真似るべきだと言っています。では具体的にどうすれば良いのでしょうか。バイヤーは出張ができず、日本のファッション雑誌を見て仕入れを検討し、昨日入社した新人が10年選手のベテラン派遣販売員を前に朝礼している現状で、百貨店が浮上するとはとても思えません。この現状は現場が招いたものではなく、売り上げ不振時に人員削減、消化仕入れ化を推進させ見せかけの利益を株主に見せてきた経営層の失政の賜物です。

ではこのまま百貨店は消滅に向かって行くだけでしょうか?