中国の百貨店事情 第二回

中国の小売業は現状どうなっているでしょう。百貨店は日本と違い、所謂ディベロッパー業態です。場所を貸しているだけで自主売場は持ちません。メーカーが直接借りる場合もありますが、大抵は代理商と呼ばれる販売専門会社がメーカーから商品を買い取り、場所を自ら借りて販売するのが一般的です。代理商は正規価格の2~3倍の上代を付け、そこから20%off30%offと下げていくやり方です。ですから隣同士の百貨店でも同一商品が違う価格で販売されていることは日常茶飯事なのです。一物多価は当たり前です。消費者は口コミで情報を得て(新聞は無いし、有っても読みません)一番安い店舗で買うのです。ですから百貨店内では至るところで年がら年中バーゲンをやっている状況になります。百貨店は家賃収入なので一切関知せずです。しっかり日本型で管理ができているのは上海にある杭州大厦と北京の新光天地位です。

大多数の地元百貨店はMDは全く無く、雑多な店舗が無秩序に並んでいるだけで、家賃を多く払える企業(個人商店も多くあります)が一階を占めるのです。故に一等地には金ショップが多く占めています。最近ではパン屋もブームなので1楷に在ることが多いです。その為、売場区画は細かく区切られ、まるで東京御徒町にあるアメ横にいるようです。

中国の小売業全体に言える事ですが、消費者は圧倒的に若手で、50代から上は全く相手にしていません。これは50代から上は収入が極端に少なく、政府の恩給や年金額が、急成長した実態経済とリンクしていないからです。その為、年よりは購買対象から全く外されてしまっています。若い層は共稼ぎが原則で、基本収入以外に必ずアルバイトをしており、結構な収入を得ています。月給二人分で35万~40万で1~2億円のマンションを平気でローンを組み、ブランド物を買うのです。この層をあらゆる小売業が狙い、競争は激化しています。特にネットの隆盛は目を見張るばかりで若い層は仕事中でもネットに夢中です。結果、中国の百貨店は一年中バーゲン競争下に在ることになったのです。

上海 杭州大厦

セレクトショップの盛衰

オープニングセレモニーが表参道店を残して閉店するそうです。一時は海外ラグジュアリーブランドを擁したセレクトショップは花盛りでしたが、ここ数年苦戦中でした。セレクトショッ、プは元来一人のバイヤーが自信のファッション感性を全面に押し出し、その感性の具体的表現としてのコーディネートを売りにして伸びてきた業態です。しかし、規模が大きくなるにつれ、一人のバイヤーでは対応しきれなくなり複数バイヤーがバイイングに携わるざるを得なくなると、テイストにぶれが出るようになり、セレクトショップの良さは崩れてしまったのです。現在も健闘しているのはオーナーがしっかりテイスト管理している僅かな店だけです。調子に乗り、店舗数を増やし、固定客ではなく数を売ろうとしたショップは生き残りに必死なのです。元来高額なファッションを扱うのでフリー客を狙うのではなく、固定客を育てていくのがセレクトショップです。現在でも固定客を大事にしてむやみな出店をせず好調なのは、名古屋のBOLS1987位でしょう。特にメンズセレクトショップは時間の問題と言われ、オーナーは如何に大手商社やファンドを騙して売り逃げするかに腐心しているようです。

BOLS1987名古屋三越店

中国の百貨店事情  第1回


中国国内で大手中堅百貨店の知人から連絡がありました。「昨今日本のファッションブランドの撤退が続いているが、日本の状況を教えて欲しい」というものでした。最盛期には日本の名だたるブランドやショップはほとんど進出していましたが、今も残って踏ん張っているのは数えるばかりです。それも代理商が、買い取った商品の残りを売り切る迄仕方なく販売しているのが実状です。唯一、中国資本に買収された(株)バロックだけが、現地化を推進して生き残っています。

原因として、日本の多様化し高度化した消費者の感性と、急速に国際化を果たした中国人の感性はまるで違う、という単純且つ当たり前の事に気づかす、日本で販売している商品をそのまま安易に投入しているだけでは売れなくなるのは時間の問題だったのです。例えば、中国では「赤」色は縁起が良い色で、必ず無くてはならない色なのですが、日本では単なる流行色なので品揃えされていない事がほとんどです。そして、日本ブランドコピーブランドには日本では展開のない「赤」が展開され、しかも価格が日本ブランドの2/3~1/2の為競争に負けてしまったのです。しかも、日本ブランドといっても中国生産品は全く人気は無いのです。

欧米ブランドはラグジュアリー以外でも、素材や縫製にこだわったブランドは人気があります。イタリア製生地使用であったり、欧州生産(厳密には旧東欧)であったりして、デザインだけでなく高品質を全面に打ち出して成功しているのです。日本メーカー製品は、デザインは韓国に負け、素材や縫製でのかつての優位は大多数の中国人の関心を、家電や車のようには得ることはできていないのです。日本で流行っているというだけのMDでは最早通用しないのです。

こうして日本ファッションは撤退を余儀無くされているのです。工場があるからといって安易な出店政策はいとも簡単に崩れてしまったのです。

ブランドに限らず、百貨店や総合スーパーもしかりです。伊勢丹や高島屋、大丸の店舗は軒並み大苦戦です。これは現地調査を充分行わす、安易に代理商に任せきりにした付けが回って来ているのです。日本もかつては「パリで流行っている」とか「NYでモデルが着ていた」などと言って流行最先端を気取った業界人が流行をリードした時代がありましたが、現在の消費者はそんな猿真似には全く踊りません。日本はこんな状況に消費者が進化するまで50年掛かりましたが、中国スピードは5年で変わっていたのです。全く日本企業は戦前と同じで、根性と安易な希望的観測だけでビジネスを組立ているとしか思えません。

日本企業は時代の流れと消費者の変化についていけていないのです。日本でも中国でも!

近鉄百貨店

昨今、百貨店に大型インショップ導入の動きが盛んになっています。古くはファッションブランドに始まり東急ハンズ、ユニクロへと続き、ニトリ導入迄になりました。小売が小売業を導入する事はどうゆう意味や意義があるのでしょう。導入する側は導入するブランドによる売上や家賃による収入増加を期待するのと、そのブランドの集客力にも大きな期待が寄せられています。この方式が進むと、百貨店はよりディベロッパーに近づき、最終的にはファッションビル化するでしょう。問題は百貨店が意識して最終形態として業態変換を行っているか否かです。百貨店には数多くの社員がいますが、売場をテナント化してしまうと、余剰人員化してしまい、多くの社員が路頭に迷う事になります。大丸百貨店は「百貨店という業態に拘らない」と明言し、ディベロッパーへ、着々と業態変換を推し進めているように見えます。

しかし、百貨店マンとして完全にディベロッパーとして生まれ変わるにはどうしてもジレンマが残らざるを得ません。小売業とディベロッパーは全くもって別の業種で、百貨店がブランドを消化仕入れで入れるのとは訳が違うのです。入れた後の管理運営ノウハウも無いうえ、どうしても「売上を自分達で管理したい、顧客と直接触れ合いたい」という願望は切り捨てられないからです。

まして、業態変換が完了するまで、数多くの同僚の失職を見ざるをえない事は決して楽な事ではないからです。

そんな中、近鉄百貨店は自ら人気業種のフランチャイズになり、自社に導入を計っていく方針を強化するそうです。こうすれば、人気があり集客力があるテナントを導入でき、雇用確保にもなるという、一石二鳥がみこまれる訳です。

百貨店がその看板を掲げる為には、自ら仕入れ、自ら販売するという不文律が有りましたが、時代の流れと共に、生き残る為には変化せざるをえない事は必然なのでしょう。

百貨店は消費文化の担い手として、単に商品を販売するだけでなく、文化催しや物産展等、消費者を楽しませて来ました。ここへ来て、その余力はありません。生き残りを掛けて、どのように変わっていくか見届けたいと思います。

ガイアの夜明け

1月5日の「ガイアの夜明け」で、『百貨店は消滅か進化か』というテーマの下、熊本の鶴屋百貨店が大きく取り上げられていました。鶴屋社長が「お客様を家族、親戚と思ってどうしたら満足して貰えるか考えています。」と話されていました。開店前にお客様を店内に入れ寒さを凌いで頂く、とか、社員発案のイベントを積極的に行う社員のモチベーションを上げる、コンシェルジュサービスで徹底して顧客を囲い混む等で、百貨店人からみればどこの店でも当たり前に行っている事のように見え、目新しさは感じませんでした。しかし、これが大きな成果を上げているそうです。何処が他社と違うのでしょう?幾つか要因は有るのでしょうが、最大の原因は、社員が「やらされている」感ではなく、現状に危機感を持ち、自分達で何とかしなければという積極的参加意識がとても高いと言うことではないかと思いました。

村上りゅうが最後に、『百貨店業界が生き残るのではなく、どの企業が生き残るか、と言うこと』と締めくくっていましたが、正にそのとうりだと思います。

謹賀新年

2017年は素晴らしい晴天の下始まりました。各百貨店の初売りも福袋を中心に好スタートを切ったようです。

しかし、取り巻く環境は予断を赦しません。単なる経済状況だけの問題ではないからです。百貨店の業務構造が時代に会わなくなっている事からくる『歪み』が、消費者との距離をより一層拡げているからです。結果、対処療法では遺憾ともし難い状況に陥ってしまっています。今年こそ、今までの経験や感に頼った営業ではなく、時代に合った営業手法を研究開発する時代にしてください、時間は余り残されていません。

本年が、小売業に関わる全ての人にとり、良い年になりますよう祈念致します。

2017年 元旦 クーデター倶楽部議長 内野幸夫

伊勢丹の挑戦


伊勢丹PB商品の『靴』が海外進出だそうです。かつては他社との差別化政策で他社に卸すなど論外でした。一時期はほとんどの大手百貨店をはじめ地方百貨店や総合スーパーまでPB商品花盛りでしたが、現在まて残っているのは食品スーパーPB位で、百貨店系はほぼ全滅状況です。

なぜなら百貨店の店舗数で売れる量はたか知れており、拡販をしない限り採算が取れるまでの数量が販売できず、結局数年経つと中止されてしまうからです。多くの百貨店はあらゆるアイテムでPBを作っては撤退を繰返し、最後には諦め撤退していったのです。現在では自主の売場も無く、売るための自社販売員も持たず、モノを作れるバイヤーも居ないためPBを作る事は不可能になってしまいました。そんな中、伊勢丹は地道にデザイン企画から生産管理まで自社で行える体制を整備し、少しづつ経験とノウハウを蓄積し、始めてから10年を経て海外にその販路を求め進出するまでに成長したのです、現在では10万足生産するまでになったのです。『なんだ、たった10万足か』と言う声が聴こえてきそうです。しかし、マスコミも同業他社も実際無責任な評論だけて、10万足の持つ本当の意味を理解していません。特にメーカーや百貨店のマスコミ向け先行バーゲンで7~9割引でしか買わない連中は、モノを作り出す難しさや苦労など全く理解しようともせず、海外ラグジュアリーしか認めようとしないのです。そこで、『伊勢丹はポップアップしかしない』『靴PBは安物』としか評価できないのです。現場では、お客様の声を徹底して集め、従来の常識と違い、幅の小さい2Eや1Eが求められている事や歩きやすいヒール開発を行い、単なるNBとデザイン違いでしかない、見掛けだけのPBとは全く異なるPBを開発しているのです。

百貨店は12月23.24.25日は久しぶりに絶好調で12月予算をクリアしたと思われます。そして、血の滲む思いでPBに再挑戦している伊勢丹の海外進出が本年最後の報告で、少し気が軽くなりました。『百貨店はまだまだやれる』と。

皆様、良いお年を!