伝統とは革新の継続

九谷焼錦山窯の吉田幸央氏と奥様るみこ氏の展覧会を拝見してきました。
伝統工芸というと、昔からの伝統技法をそのまま受け継ぐだけのモノが多い中で、技法をより昇華させ、素材を現代に求めた斬新かつ美しい作品展でした。

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多くの窯が時代の流れの中に消えて行きましたが、百貨店や総合GMSと、相通じる原因があると思われます。それは伝統の上に胡座をかき、時代の求めるモノを認識出来なくなった事が最大の原因だと思います。どんな時代においても、必要とされなくなれば、どんなに素晴らしい商品でも、消えざるを得ません。
吉田先生達の作品は、伝統に甘んじることなく、常に革新を続け、伝統の刷新する鼓動が聴こえてくるようです。
どんな業種業態でも、革新を続けなければ生き残れはしないのです。

ネットの急速な拡大と、消費者ニーズ細分化による「大量生産・大量販売」時代の終焉を迎えて、既存小売業もメーカーも勢いが全く在りません。最初から海外販売を視野に入れている製造業以外では、販路や市場が限定されていては、売上が延びる要素は限りなく少ないでしょう。これからは、戦後70年続いたありとあらゆるビジネススキームや社会構造

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がスムーズに稼働しなくなるでしょう。それほど消費者は変化したのです。
小売業もメーカーからの仕入れ商品をただ並べるだけでは、その存在意義を問われ、メーカーは小売業の言いなりに商品を作っていては在庫の山に埋もれることになります。では、どうすれば、生き残ることができるのでしょう!
小売りはその商品を自らオリジナル化させ、自ら創るSPA化し、「ここでしか買えない」というアイデンテティー
が求められ、大量販売しなくても利益が確保できる道を進むべきです。メーカーは自分の命綱を預けるのではなく、自ら直営店運営に乗りだし、チャレンジすべき時代だと思います。どちらも入念な準備が必要なのは言うまでも在りませんが、SPAは詳細な販売計画が不可欠ですし、直営店は52週MD構築がないと回りません。しかし、無謀ではなく冒険は必要です。
このまま座って死を待つか、撃って出て活路を見いだすか、分かれ目です。

動き始めた百貨店

高島屋が、繊維メーカーの研究組織「繊維・未来塾」と組んでモノ作りに本格的に乗り出すそうです。今から5,6年前から産地メーカーと組むチャレンジを開始していましたが、今回は大手メーカーも加え、ブランドの高島屋限定品として、販売する仕組みにしたそうです。ONWARD樫山の「自由区」と「組曲」がその第1段になります。
一方、三越伊勢丹日本橋店は改装に当たり、「カルチャーリゾート百貨店」のコンセプトの下、文化を軸にフロアー構成や商品MDを見直しをして、現在5つのギャラリーを10に倍増させるそうです。衣料品は縮小してコミュニケーションを体感出来る次世代型店舗を目指すそうです。
日本橋が本店機能同士の改装競争はどちらに軍配が上がるのでしょう。

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調達先公募

そごう・西武が商品調達先を公募するそうです。衣料品から食品、雑貨や子供服など様々な分野の商材を、最初は同社の通販サイトで、売上が好調な場合は実際の店舗で常設販売するとの事です。公募商品売上高を、3年100億円にするそうです。
新しい試みで異例の取り組みですが、従来のバイヤー達は何をしているのでしょう? 公募とは、「此方で座って待っているから、美味しいところを持っておいで!」と言っているのと同じに聞こえてしまうのは、私だけでしょうか?インバウンドの恩恵が無い地方店が苦しいと言ってますが。インバウンドに関係なく、常に消費ニーズに対応しうる商材発掘はバイヤー最大の業務だと思っていましたが、そうではなかったんですね!
西武のバイヤーは伝統的?に外へ出ないようです。取引先を呼びつけては文句ばかり言うと、業界でのもっぱらの噂です。
かつて西武は時代に先駆けたブランド開発や業態開発、時代を捉えた見事な宣伝で一世を風靡したものです。PARCO会長の伊藤さんやロフトを創った安森さんなど、優秀な人材を沢山輩出した新興名門でした。その先輩達が築き上げたうえに胡座をかくという、正に現在の百貨店そのものであります。汗をかかなくなった百貨店は一体、何処に向かうのでしょう‼

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本音と建前

米国大統領選で、共和党のトランプ氏が話題になっています。その過激な発言が一般大衆、特に低所得層に受けていると聞きます。良識が謳い文句の評論家達はただのプロパガンダで政策に実現性は無いとか、本選挙では勝てっこない等とのキャンペーンかと思われる程の論じんを張っています。しかし肝心なことを評論家達は忘れています。国民がトランプが訴えている事柄に共感している、という事実です。
 理争論のみで、足下の現実の中で不満がたまっている国民の声が聞けなくなっているという事実です。トランプ氏は国民の本音の代弁者なのです。
 百貨店も同じではないでしょうか?
売れない理由を天気と経済のせいにして、消費者の声を真摯に聴いてはいないのではないでしょうか?時代は僕らの想像より早く廻っています。僕らが古くて、ダサいと思っていたことが、新鮮と思える次世代が育ってきているのです。

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戦後70年の制度疲労

三菱自動車が燃費偽装をしました。戦後70年を経て、日本経済を牽引してきた大企業の2度目の不正事件です。

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報道では、成績向上が金科玉条として社内にまかり通り、正しい事が言えない状況だったと言っています。
昨今、日本の企業は国際化の一貫として、株主に対してのみ、責任を負うことが企業責任であるかのような論調を良く耳にします。しかし、企業の存在意義は、如何に消費者と社会に貢献するかという点に尽きるべきだと思います。かつての日本の企業は、少しでも良い暮らしを、少しでも住みやすい社会実現のために頑張って来ました。それが戦後70年で、どこが悪いのか、誰が悪いのか不明のまま、少しずつ目的が狂ってきてしまいました。正に日本経済を支えてきたシステムそのものが制度疲労を起こしているのです。成績しか目に入らない経営者が悪いのか、モノが言える状況ではなかったと自己弁護をする社員がだらしないのか、どちらにせよ、社会が幼稚になって来ているとしか思えません。姑息な手段で守ったものは、伝統ある看板ではなく、個人そのものでした。これでは企業は存続する意味も意義も在りません。寂しい限りです。

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