NY事情2018冬
一番消費が盛り上がるはずのNYクリスマス商戦をリポートします。感謝祭のブラックサタディから一部の店舗は待ちかねたようにバーゲンに突入するのですが、街は意外に平静を保っています。米国経済の未曾有の好況を反映してラグジュアリーを初め割引率も30%~が主体で嘗てのような70%OFFみたいな投げ売りは見当たりませんが、店内の客足は土曜日でも疎らです。ネットへのシフトは想像以上です。土日でも客足は疎らで寂しい限りです。込んだのはバーゲン初日だけでした。
一番消費が盛り上がるはずのNYクリスマス商戦をリポートします。感謝祭のブラックサタディから一部の店舗は待ちかねたようにバーゲンに突入するのですが、街は意外に平静を保っています。米国経済の未曾有の好況を反映してラグジュアリーを初め割引率も30%~が主体で嘗てのような70%OFFみたいな投げ売りは見当たりませんが、店内の客足は土曜日でも疎らです。ネットへのシフトは想像以上です。土日でも客足は疎らで寂しい限りです。込んだのはバーゲン初日だけでした。
5) 新しい商売を生み出すこと
今迄の商売とは「形あるものを造りあるいは仕入れ、それを販売する」ことでした。昨今は「モノよりコト」寄りとばかりに「コト」を販売する指向が大変強くなっています。しかし問題はその「コト」とは何かという点です。コト=体験がもてはやされ、旅行やイベント参加などが消費者の興味をそそっておりますが、これらは従来から旅行業の業務そのものとして在ったもので今更珍しいものではなく、今更百貨店が取り立てて取り扱う商品ではありません。
百貨店が現在持っている最大の財産は膨大な数の顧客数ですがこの顧客を使った新しいビジネスが次世代の主役になります。①は顧客の膨大な買い物データです。カード顧客は属性が判明しているので、AIにより属性別の購買予測が立ちます。このデータはメーカーにとり莫大な価値を生みます。色・サイズ別の販売予測は商品生産に無駄を無くし、投入時期すら予測可能にします。②は来店顧客の着ている衣料から次の流行予測も可能です。これは来店顧客の写真分析データが売り物になるのです。これらはメーカーが次に何を造るべきかの基礎データになるからです。③はディスプレーからの顧客情報データです。顧客はDPの何に興味を惹かれ、何が購買決定要因か、はたまた非購買要因は何か、DPに仕込んだカメラにより顧客目線の分析から、そして色・サイズ・価格の何処に興味が一番あるかの分析ができます。これらの各種データは百貨店の大きな販売商品になるのです。百貨店はこれらの顧客のライフスタイル全般の購買履歴を確保できます。これによりファッションから食まで「個」の行動パターンが予測できるのです。
百貨店はこのように膨大な買い物の記録及びこれからの予測が大きな商品になりますが、さらにデータの定性化を図るため、顧客の固定化をいままで以上に図る必要があります。そのためには顧客が各販売員のファンになってもらうことが一番の近道であります。何処にでも売っている商品は何処で買っても同じであり、差別化の為には販売員から得られるアドバイスやライフスタイル情報、商品関連知識などを総合的に、ある時は暇つぶしに付き合ってくれ貴重な時間を惜しげもなく費やしてくれる理解者である販売員が百貨店にとり顧客の次に重要な財産になってくるのです。そのために、現在人事部が放棄してしまった販売員教育を再度開始しなければならず、それも急務と言えるでしょう。
今迄の商売と全く違った商売の概念がすぐ目の前に迫っているのです。
3) コト寄りの拠点として新しい生活提案を行うこと
百貨店は今迄の物販施設としての機能だけでは生き残れません。場所貸し化やブランドを詰め込んだ形でも、SC化でも専門特化型でもごく一部の百貨店しか生き残れません。消費者は「モノを買う」ためだけにはわざわざ時間とお金をかけて買い物にはもはや来ません。「今この瞬間」だけしか味わえないコトや「此処でしか買えない」か「此処で買うのが好き」といった「此処」でしか楽しめないコトが集積され、時間と空間が自分の好みで展開されている場所にしか興味が無いからです。「何処でも」「何時でも」買える「場所」や「モノ」には時間を費やす暇は無く「たまたま」ではなく「わざわざ」求めなければ得られないもの、イベントなどの一過性ではなく、日常的に提供され消費者自身の生活の糧になるべき「コト」が望まれるのです。そういった意味で教養や知識を身に着けられる「学習」であったり気の置けない仲間が集うカフェレストランで過ごす「時間」であったり、多種多様の「コト」の集合体に進化をしなければなりません。もっと身近に言えば「料理教室付きあるいはレストラン付きの食品売り場」や「修理・お直しは勿論パーソナルコーディネーターとお茶を飲みながらファッション談義ができる衣料品売り場」などが当たり前になるのです。そうでなく単にモノを販売するだけの施設ではネットにかなうはずが無いのですから。
2) 24時間機能を持ち、24時間展開する
百貨店が「コミュニテーの中核になる」には百貨店が持つ空間と時間の最大限活用が不可欠です。空間は「モノ売り」から「コト寄り」に変わらなくてはなりませんが、同時に「時間」の有効活用が為されなければなりません。地方都市の課題の一つに夜間時間を過ごせる施設が極端に少ない事が挙げられます。夜間人口の減少で地方都市の夜はつまらないというのが特に若年層を中心に多く聞こえ、夜というといかがわしいイメージや不良というイメージが年配者を中心に考えてしまいがちですが、国際化の時代に「夜は寝るもの」で「人生を楽しむ」ことは悪だとする意識はもはや時代遅れです。健全化という観点からしても、百貨店が24時間営業の不夜城化すれば逆に不健全な場所は減り街の浄化にも寄与できると思います。施設がより多くの消費者から支持を得るにはそのニーズに対応すべく24時間営業を目指さねばなりません。
例えば、百貨店の通常営業は7時には終了しますが、一等地の商店街に真っ暗闇が出現してしまいます。そこで7時以降はリアル動画販売に切り替えます。各売り場を周りその日の気に入った商品を音楽に乗せながらネット販売するのです。飲食も同様です。昼間は地元の主婦や起業家が施設を借りてランチ営業し、夜はバーや居酒屋に変身です。所謂2毛作です。ホテルの存在は不可欠でしょう。バックパッカー用のカプセル型から蚕棚型、ファミリー用にビジネスホテル型と画一ではない客室を用意し、あらゆる客層に(高級は無理)対処できバー直営のクラブを併設したり、飲食ゾーンにホテル直営のバーやスポーツバーにGバー、バイキングレストランなどがあっても良いでしょう。当然これらも2毛作です。この2毛作により起業家やアーティストは安く物件を借りられ、装置産業はそのコスト&減価償却費を安く抑えられます。でも一番大事なことはこれらにより起業家やクリエーターそして一般消費者が百貨店という施設に集うことなのです。
百貨店復活の要件
1)地域密着型で地域コミュニケーションの中核化機能を持つこと
百貨店は新しい商品・展開方法・販売方法を開発することにより消費文化をリードしてきました。しかし消費者のモノ離れが進む中で「ブランドAがダメならB」と、ネット時代のリアル店舗のあり方を模索するのではなく、流行を追い続けるだけの「モノを売っているだけの箱」になってしまいました。肝心の商品もネットの拡大により何処でも何時でも手に入れることができるため百貨店はわざわざ行ってその空間や時間を楽しむ施設ではなくなりました。
こんな百貨店を復活させる要件の一つに、消費者が集い時間と空間を楽しめる施設に変ることがあります。物販以外のコトや趣味で消費者が集いコミュニケーションを活性化させ、最後にはコミュニケーションを目的に集うようにする事です。従来でも会員組織での旅行や趣味の会、知性を磨く勉強会などがありますが、もっと広い年代が自然に集まれる施設になる必要があります。公共施設や病院、保育園や学校などがあるのは当然、老人ホームや携帯ショップ、薬局にコンビニなど町中にあるものは全てあるべきでしょう。更に若い人に人気のダンススクールやお年寄りに人気のハワイアンスクール、人気のスウィートショップや飲食なども重要でしょう。ただし重厚長大な売り場ではなく消費者ニーズが変わったらすぐ入れ替えが効く簡便な展開法であることが前提です。それも何処にでもある商品や店舗ではなく、地域に根付いていることが重要です。大都会で展開されている何処にでもあるチェーン店などを展開しても、「わざわざ」来る意味合いが無く、地域密着の「ここにしかない」商品や店舗を導入することが大前提です。そしてホテルに焼き鳥屋に寿司屋、酒が飲める蕎麦屋にラーメン屋、バーやGバー、クラブがあっても良いでしょう。 違う年代、違う価値観、違う趣味が混然と一体感を満たすコミュニティーを創り出すことが今の百貨店再生の第一段階です。若い人が来ないから若い人向衣料ブランドを入れるのではなく、ラーメン屋なら老若男女誰でも集えるからです。百の商材を売った百貨店から百の価値あるコトを展開する百価店へ変わる時です。
百貨店の苦戦が止りません。消費者ニーズの多層化、ネットの急拡大に伴う社会構造の劇的変化に付いていけないからです。百貨店は常に社会変化を見逃さず機敏にその業態を変化させ、新しい品揃え、展開方法、販売手段を開発し消費者ニーズをリードしてきました。しかし技術革新による新しい販売手段は従来の予想をはるかに超えたスピードと規模で拡大し、百貨店が手を拱いているうちに売上金額も顧客数も抜かれてしまい、差は広がる一方です。このままではインバウンドで息をついている一部の大都市百貨店以外は全て無くなる日も遠くは無いでしょう。
この状況を変えるには百貨店が再び新業態を開発しなければなりません。単なる物販機能のみの業態から時代に合った業態へ進化しなければ生き残ることはできません。では新業態化とは如何なるものなのでしょうか?単なる場所貸し化でも低価格帯メーカーの導入でもありません。その要件として①地域密着型で地域コミュニケーションの中核化機能を持つこと②24時間機能を持ち24時間展開すること③コト寄りの起点として新しい生活提案を行うことの④新しい商売を生み出すことの4点です。次にこれらの要件を1つずつ検討しましょう。
プラスティック製品は我々の生活に無くてはならないですが、中でも 2016年度に消費されたペットボトルは概算4,800億本にも上ります。しかしリサイクル回収率は半分以下しかなく、回収されたうちのわずか7%しかペットボトルとして再利用されておらずそのほとんどがゴミとして捨てられているのが現状です。しかも年間500万tから1,300万tものプラスティックゴミとして海に流失し、魚や海鳥などの海の生態系を脅かしています。今まで各国のペットボトルはゴミとして約6割が中国に輸出されていました。中国ではそのゴミを「資源」として再利用してきましたが、ゴミ集積場所の周辺を中心に深刻な環境汚染を引き起こしてきました。洗浄の為に使う洗剤や汚水による川や土壌の汚染です。そこで中国は1月に廃ペットボトルを全面輸入禁止にしたのです。結果、世界的に廃ペットボトル処理が追い付かずリサイクルに危険信号が灯り始めています。これに輪をかけ昨日EUが使い捨てプラスティック製品禁止を打ち出しました。ストローや綿棒、フォーク&ナイフなど多岐にわたり簡便に使われてきた「使い捨て製品」を禁止したのです。
これまでも消費者は「無駄な消費削減」「環境保護」でスーパーのレジ袋持参やペットボトルの代わりに水筒持参などを積極的に行い消費意識を変化させてきました。「地球に優しい」「無駄なものを造らない・持たない・使わない」という意識は今後更に深化することは間違いありません。政府はこうした流れを加速させ、新しい産業を生み出す工夫をするべきです。海に流れ出したプラスティック製品を回収する装置の開発にそれを再利用するための再原料化システム、そして再利用された環境にに優しい製品達など、一連のリサイクルを完成できれば世界に先駆けて環境立国となり国際的に発言力が高まります。そうなれば再び「made in japan」製品が世界を席巻できるのではないでしょうか。プラスティックから造られた丈夫でしなやかな布を使った衣料や靴・雑貨など。若きベンチャー企業は実際もう取り組みを始めています。「採算が合わない」「責任所在が不明」などと従来の大手企業や行政はやる気がありませんが、実は次世代の大きなビジネスシードの種が転がっていることは間違いがないのです。ネット創成期と同じで、自分になじみがない物には頭から否定する大人や組織の弊害がまだまだこの国では大きいのです。残念です。
「働き方改革」や「休日増加」により余暇時間は確実に増えています。大型連休や有給休暇取得も増える一方、旧来の悪弊であったサービス残業は影を潜め始め、若い世代を筆頭に会社に忠誠を尽くす滅私奉公の思想は死語になりつつあります。ネット拡大に伴い「働き方」も代わり始め、在宅勤務や成果主義型勤務なども今後は益々増えるでしょう。こうした消費者の自由になる時間は増加する一方にかかわらず、その時間を「どう使うか」という提案は残念ながら今の小売り業からは出てきません。「モノ寄りからコト寄り」と口では言いますがライフスタイルをどう提案するかという観点からの「余暇時間の有効活用提案」は皆無に近いと言わざるを得ず、相変わらず「モノ売り」の視点から一歩も出ていないのです。現在「コト」寄りというと、旅行かスポーツが主力です。しかし現在の百貨店では街を散策するための「自転車の貸し出し」もジョギングを楽しむための「レンタルロッカーやシャワー」も用意していません。百貨店主催のサイクリングやマラソン大会もありません。旅行すら大手旅行業者が販売するパックを取り次いでいるだけです。かつては「友の会」や「文化教室」などを主催し女性を中心に集客を図っていましたが、りニューアルされないまま「花嫁修業」の視点からの「お教室」に若い世代は独身・既婚を問わず満足せず集客にはなりえていないのが現状です。今こそ大手小売業者はファミリー向けや若い世代、団塊世代向けと幅広い世代を目的別ターゲット別に括り、明確な「切り口」に基づいた「コト」を提案すべきです。その結果、「モノ」が売れるのですから。流石創造集団が主催する「青山ファーマーズマーケット」は今や毎週土日に3万人もの人を集めていますし、生産者を招き「ワイン」造りの苦労話を聞きながら飲み比べをする会などは毎回数百人もの人を集めて楽しくワインの勉強をしています。このように趣味や教養としての知識を経験・体験しながら得ることができる催しに人々は集まるのです。また、無印が流石創造集団と組んで、千葉県大多喜村での里山体験ツアーなども活況を呈しています。これは家族向けに1年かけて田んぼの草むしりから田植えに収穫までを消費者に自ら行ってもらい、夜は廃校になった小学校の校庭でグランピングを体験させたり、村の醤油屋さんで醤油造りをさせたり田舎生活を満喫して貰うイベントです。これにより田んぼでの衣服や道具を無印が販売し、村は集客が図れ休耕田が生き返る等、三者とも潤う仕組みです。このような仕掛けがなぜ百貨店でできないのでしょう。答えは明確です。「事故があったらどうする」「責任は誰がとる」「前例が無い」、結果「やめよう」なのです。
消費者ニーズの多層化は単にモノの買い方や買いたいモノの変化だけでなく、社会そのものを変えつつあります。クリーンエネルギーは太陽光発電を筆頭に石油や石炭による大気汚染防止の切り札として期待されています。我国では民間発電買い取り価格の問題や用地買収の高コスト化などで未だ大きな前進はしていませんが、世界的にはクリーンエネルギー化の流れは止まりません。米国カリフォルニア州では新築家屋に太陽光発電設備付帯を義務付ける法律が成立し「自前エネルギー」化へ大きな一歩を踏み出しました。自国で大量の石油を算出するにも拘らず次世代を見据え政策を推進しているのです。欧州では太陽光発電に留まらず化石燃料車を全面廃止する決定がなされており、世界的規模で車は電気自動車化へ大きく舵が切られ、自動車メーカーはその開発に血道を上げています。我々の身の回りに当たり前に存在した「モノ」が大きく変貌しつつあるのです。これらは消費者が「便利より環境」を優先する意志の表れであり「消費より保護」へニーズが大きく変化した結果でもあります。
百貨店は「クリーンエネルギー政策」を商売のネタと考えたことはありましたが、消費者のライフスタイルの柱の一つとして捉えたことは一度もありません。消費者は自分の生活信条に共感してくれる、あるいは主導してくれる人や企業を支持する時代です。百貨店は消費者をリードする役目があるはずですが迎合ばかりしています。ユニクロを初めとする低価格商品が流行れば我慢することなく低価格路線へ邁進しスーパーと競合し、インバウンドが叫ばれ始めると一斉に右に倣えをし、高級品から生活用品に売れ筋が変わると平気でドラッグストアーを導入したりします。このような態度はかつては「時代を見るに機敏」と言われましたが今では全く逆です。百貨店はもっと社会の公器として自信を持つべきです。これからの時代は「消費のみ」から「再生」がキーワードの一つになることは誰もが認めるところです。
こうした流れの中で、百貨店をはじめ各商業施設は未だに膨大な無駄を浪費しています。一つは夏冬かかわらず使用する「冷房」があります。一般の方はご存じないですが百貨店は膨大な照明から発せられる熱を冷却するためにクーラーは年中フル稼働しているのが現状です。消費時代の象徴であった百貨店はここでも時代を見ていません。館内で使用するエネルギーを少しでも削減するために屋上のフル緑地化や建物壁面の熱反射塗料散布や太陽光パネル化を実施して自社使用電力の一部を獲得するなり、夏場には日本古来の打ち水や涼しく感じる音響効果の多用、冬場には外気導入による冷却化や中元歳暮を中心に膨大な量に上る配送業務も電気自動車に限定し行なったり、自家用商品の完全無包装化などを実践すべきなどして他企業の模範となるべき時代なのです。しかし残念ながら百貨店は未だに「経費削減」の観点からしか考えないのです。競争社会で一人先に利益が見込めない投資に踏み込むのは株主様が許さない環境下ではありますので、百貨店協会が率先して指導することが必要では無いでしょうか?ただただ政治献金していればよい時代ではないのですから。
「中国は全ての面で遅れている」「日本のモノ造りは世界一の水準である」と皆さんはまだ思っていませんか?これらは少し前まで世界の常識でした。日本車は世界トップレベルの安全性と高コストパフォーマンスを誇り、SONYは世界のブランドでした。しかし現在の事実は違います。東南アジアで見かけた「Panasonic」の看板は「Samsung」に取って代られ、「SONY 」は「LG」に「SHARP」は「鴻海」になったしまいました。日産はルノー傘下ですし、TOYOTAは電気自動車で出遅れました。中国は遅れていた技術開発を世界の一流企業の下請けになることで、近年はM&Aで先進企業ごと取得し更に発展させ、ITの力を最大限活用して社会変革と経済拡大を圧倒的なスピードで推し進めています。小売りで言うとネットのアリババが1日で2兆円を売ったことは記憶に新しいことですし、日本で進化したコンビニは中国ではさらなる進化を果たし無人化が進み、現金ではなくスマホでの決済が日常的になっています。日本では新興勢力や新技術が出てくるとまず否定から入ります、「ああだからダメ・こうだから良くない」と。しかし中国は違います。貪欲に、どんなものでも「金」になりそうなものには飛びつき、自分のものにしようとするのです。消費者も正直で何に価値があるか素直に認めるのです。ラグジュアリーブランドの「偽物」があれだけ生産され消費されるのはそのブランド価値を知っているからで、実際の価値と価格を比較ているからだとも言えます。
その中国では 時代の流れが速いとよく耳にします。「日本の10年は上海の1年」というセリフは中国のスピードの速さを表現する常套句として使われていましたが、最近は「日本の変化するスピードが遅すぎる」と認識すべき言葉であると筆者は感じています。この原因は日本のガラパゴス化と経済の流れが残念なことですが中国を軸に回り、そのスピードに日本企業がついて行けない事が最大の原因だと思います。これだけネットの発達により世界が狭くなり世界が相手でなければ生き残れない時代になったにもかかわらず、よく言えば「独自性の維持」ですが結局は時代に乗り遅れただけのことです。小売り業も当然この流れに乗れてはおりません。1000年前の雨ごいと同じでひたすら中国の団体様ご一行の来店をひたすら祈るだけです。世界を相手に生き残りを図るか、日本市場だけで静かに滅ぶのか、今日本の全ての業種が、企業がその存在意義を試されているのです。日本企業は消費者が何を望んでおり、そのライフスタイルを豊かにする為にIT技術の開発と利用を積極的に推し進める必要があり、時間はもはや残されていないのです。