シン・百貨店 第1章 第3項-2

新しい業態開発・商品について

新しい業態にはMDの揃え方・見せ方・売り方に、ブティック型式に代わる新しい展開方法開発が前回重要だと提案しましたが、商品自体はどうでしょう。

百貨店が飽きられた原因の一つに商品自体があると思います。利益率の視点から衣料中心に偏った百貨店は、同時に自身での商品開発や商品展開すら止めメーカー任せにしてしまいました。結果、どの百貨店へ行っても入っているブランドは同じで、衣料から食品まで同質ブランド化が進み、看板を外したら何処の百貨店化見分けがつかないのが現状です。

加えて費用の視点から、集客策であった文化催しや美術催し、物産展などの催しはほとんど姿を消しました。其の為消費者はわざわざ高い電車賃を払ってまで来店する意味合いが無くなってしまったのです。百貨店に来なくても駅ビルやファッションビル、近所の大型専門店・GMSで全く不自由しないのです。ラグジュアリーブランドですら路面店の直営店の方が品揃えがよく、本当に買いに行くなら直営店の方が絶対有利なのです。

更にネット販売の登場です。買い物だけならネットが便利という事は幅広い年代層に支持されています。ネットでいつでも何処ででも買える商品を百型店の館に展開しても意味はないのです。しかも百貨店では全色・全サイズが展開されている訳でもなく、結局ネットで買う羽目になるのが落ちなのです。食料品もギフト品以外は近所で十分事足りてしまいます。何処ででも買える商品をわざわざ交通費と時間をかけて買いに行く消費者はシニア層ぐらいです。結果、入店客数は年々減少の一途を辿り、売り上げも同時に下げ止まらないのです。

しかも何処ででも買える商品を、メーカーから消化仕入れ(借りてきて売れたら仕入れる方法・販売員や商品在庫もメーカー責任)したのでは、メーカー側からしたら売れる店にしか商品は回さなくなります。しかもメーカーは在庫が残るほどの商品製造はせず、売れ残るより商品が足らない方を選びます。残したら利益は全部吹っ飛ぶのですから。

結果、百貨店はA社が駄目ならB社、と次から次へ取引先を変更し続け、気が付けば地元の誰も知らない、聞いたこともない個人商店が軒を連ねる羽目となり、消費者離れに拍車をかけているのです。それでも大量生産でない地産商品や新人の商品ならこれから有名になる可能性がありますが、ただ安いだけの素材も縫製も百貨店基準に満たない商品を売っているだけでは百貨店としての存在意義は最早無いといってよいでしょう。

この状況は大手チェーン店に見放された地方の百貨店に顕著です。衣料フロアーはサッカー場と化し広大な広場がさみしき残っています。食品もスカスカの冷蔵ケースが寂し気に長期賞味期限のある加工品のみが申し訳ばかり展開されっている状況です。郊外のGMSに勝てない百貨店の現状がそこに在ります。どの商材を取っても品質・アイテム・展開量で消費者に取り魅力が全く無いのです。かろうじて集客できるのは町中から総撤退した化粧品だけでしょう。

百貨店は館として集客する役目がありますが、ポイント付与位しか集客策を持ちません。宣伝費はポイント経費に転用されてしまっているからです。現在ではほとんど集客策は行っていないといって良いでしょう。しかしどんな宣伝を行っても現状では、消費者が商品自体に興味を持っていないものばかりでは、全く効果は期待できません。ですから宣伝無しでも口コミだけで消費者が来店できる仕掛けが不可欠になりますが、それは商品自体なのです。其の一番は「此処へ来なければ買えない」商品の存在です。

商品を販売するのを諦め、見るだけの店舗を誘致している百貨店があります。一時は評判になりましたが一過性で、結局簡単に返品できるシステムの方に軍配は上がっています。実際に目で確認するのは家具・大型家電・携帯電話・車ぐらいでしょう。それに何処にでも売っている、何処ででも買える定性商品だけです。

そこで百貨店はもう一度自主で商品探し、商品制作に乗り出す必要が有ります。メーカーから商品は入ってこないなどとは夢にも思わなかったことが現実なのですから、自分たちがもう一度汗をかく必要が有るのです。

かつて百貨店は差別化戦略としてPB商品を大量に造っていました。メーカーの売れ筋商品を自社ブランドにタグだけ変えて利益率を良くした商品を大量に仕入れたのです。しかし、他社との差別化戦略が主眼の為自社以外に販売することができず、大量に在庫として抱える羽目になったのです。それは衣料品を中心に食品や雑貨にまで及びました。しかし本当に自社のオリジナルを材料から造るのではなく、メーカーの製造能力の上に胡座をかいた商材だった為、メーカーは笑いが止まらない程儲かりましたが百貨店は各社とも億単位の在庫を抱え、その処分に大量の時間と費用を費やす羽目となった苦い経験が残っているのです。現在ほとんどPBブランドは残ってはいません。残っているものはメーカー製造品に自社名を冠しただけの商品がほとんどです。PBで成功したものと言えば高島屋のフォション、伊勢丹のアナ・スイぐらいでしょう。

今回のモノ創りは今までの差別化商品ではなく、未だに一部の消費者しか知らない本物志向の商品や、若手デザイナーや小規模工房などと組み、インキュベート機能としてオリジナルを一緒に造り込んだ商品を展開することです。そこには価格帯の規制ではなく素材やデザイン、機能を優先させた本物であることが求められます。百貨店が最後にかろうじて消費者に支持されている「本物」というキーワードが絶対的な価値になるべきです。

多様化した消費者が求める新しいモノとは、全てが大量生産により低価格で大量に販売されるものではなく(確かにユニクロの商品はこれに当たりますが)、自分のライフスタイルに合った拘りのある商品を求めています。「誰かと同じだから安心」という発想はとっくに無いのです。百貨店が提供すべき商品は、消費者のライフスタイルをより完全なモノにするため、材料・機能・使い勝手・デザインが本物であること、が前提になります。どれが欠けても意味がありません。そこには価格優先はありません。

社員が自らバイヤーとなり、商材を探し、自ら売り場展開し、自ら販売するのです。そのためには見せかけの商品知識ではなく、素材・縫製・製造技術・修理まで一貫して手掛けられ、売りっぱなしの現状ではなく、修理に修理を重ねてでも100年もつ商材を開発すべきなのです。食品も老舗や有名ブランドとのコラボは勿論、原産地の生産者と加工業者を加え、3社での新商品開発をも行うことも必要です。時間がかかる製品や限定量しか取れない・造れない商品を手掛けてこそ百貨店の信用が生きてくるのです。

新人デザイナーや地方で粛々と続けられてきた職人芸の発掘や、ご当地もので未だ知られていない美味い産品紹介など、或いは有名デザイナー(当然海外デザイナーも視野に)や人気のシェフなどとのコラボ商品、または老舗の旅館やホテルが綿々と手造りしてきたお土産商品を育成・再発見するだけで新しい商材をそれほどのリスク無く調達できるのです。

これだけのモノ造りをするにはそれ相当のコストが掛かり、当然上代は上がります。今までの「良くて安い」指向から「高いけれど本物」指向に変わらねばなりません。百貨店マンは高い商品は売れないとしり込みするでしょう。今まで自分たちで販売してこなかったからです。それに少量生産者をインキュベートする意味でも力を付けるまでは高く仕入れる必要が有ります。(上代は適正に)

消費者はただ価格だけで商品を選んでいるのではないことを百貨店は知るべきです。「1点もの、売り切りごめん、などご法度」と言われてきた事は最早過去の話だという価値観変化についていけなければバイヤー失格です。何しろ、「此処でしか買えない」商品群がMDとして構築されなければならないのです。売場全部が自社商品で埋め尽くされるという事はあり得ませんが、全く無いというほうが問題ではありませんか。

ここしばらくの間、「安くて良い商品」が消費のキーワードで消費者の間で当たり前になっていました。この消費はユニクロを始めとする超大型SPA商品が牽引していました。それに引きずられあらゆる大手企業が上代見直しを図り、価格の引き下げ競争に走りました。大量生産によるコスト削減や調達先を発展途上国に移し、安い材料・安い人件費を求めて海外に生産拠点を移していった結果です。其の為国内工場はあらゆる業界でなくなり、生産は海外が当たり前になっていました。

まさか円安=150円(2022.10.23現在)になるなどと経済界は夢にも思っていなかったことでしょう。この傾向は年内~来春までは続くでしょう。こうなると人件費や商品価格は後進国と逆転し、日本は物価が安く賃金も海外より安くなってしまった現実があります。政治は二流だが経済は一流と言われたのははるか昔のことで、政治は三流、経済四流というのが実情です。

これからは価格が優先するだけでなく、商品自体の正しい価値を消費者の方が見極める時代になるでしょう。安ければ売れる時代ではもはや無いのです。安くても消費者が欲しくないものは全く売れない時代なのです。決して高ければよいというのではなく(一部のラグジュアリーブランドがそうです。不当に値付けが高いだけで品質やデザインが追い付いていません)適正な価格で販売されることが、当たり前のことですが、今求められています。そして使い捨てと同時に永く使える商品も求められているのです。

今こそ、百貨店が営々と築いてきた信用を基に、日本中から、世界中から消費者の生活を豊かにする、ライフスタイルをエンジョイできる商品やコトを消費者に紹介すべきなのです。大量生産品の低価格に対抗する術を持たない百貨店は決して安売りに走らず、本当に良い素材・縫製・無添加・天然・旬・国産・職人技・などをベースに世界のデザイナーとコラボして今の時代に合った商品を提供すべきだと思います。どんなに最高の素材で最高のデザイナーに依頼しても100万円の「モンペ」は要らないのですから。

シン・百貨店 第1章 第3項ー1

新時代の新業態開発

百貨店再生には、大きく変化した消費者ニーズの把握の次に、マス対応業態の変革が成されなければなりません。一番のターゲット層であった中間層が大きく分裂し、多様化・多層化した消費者達はどの層にターゲットの狙いをつけても昔のような塊での集客は難しい時代です。年齢別・年収別・テイスト別などの旧来のマーケティング手法ではなお更消費者を捉えきれません。「誰にでも受ける」は「誰からも受けない」時代になったことを認識すべきです。前項で述べたようにITを活用した個別マーケティングによる個別対応業態に変革しなければなりません。

では具体的にどんな業態を目指すべきなのでしょう。

ネット時代の百貨店はネット販売と実店舗販売の2軸で小売りを続けていくしかありませんが、今までのような中間搾取的な消化仕入れによるブランドブティック展開や安易なテナント貸し化では難しいでしょう。現状各百貨店指向するディベロッパー化の動きは根本的な課題が多く、なかなか進捗していません。一つ目は社員整理の問題で、二つ目は郊外店対応の問題が残っているからです。更に三つ目の課題が深刻さを増しており、想像だにしなかった事態を招いているのです。

一つ目の問題は雇用している社員数が多すぎ、収支が合わないのです。二子玉川の東神開発は50人規模で2000億円の売上があるショッピングセンターを運営していますが、テナントで入っている玉川高島屋は500人からの社員・派遣社員を抱えながら500億円規模の売上です。どちらが儲かるかは一目瞭然です。大丸百貨店を始め、ディベロッパー指向の百貨店は早期退職で社員数を如何に早く削減するかが至上命題になっています。デベロッパーになったらバイヤーも販売員も要らないのですから。

二つ目は自社でMDを組んでメーカーや小売店を呼び入れようとしても、集客力の落ちた百貨店は魅力がなく入ってくれないのです。地方店はそれが顕著に表れ、大手ファッションメーカーが幅を利かせていたフロアーは退店されてしまいサッカー場と化しています。結果MDなど全く関係なく、売り場を埋めてさえくれれば超低額家賃でも売り上げ歩合でも何でも構わず入ってもらえればよいというのが現実です。ファションビル化しようとする動きは全国の百貨店で当たり前となり、血眼で入居者を探していますが願い叶わず、空いてるフロアーが日増しに増え続けているのが現状です。従来型の食品から衣料・雑貨・食堂に催事場といった旧来型の店舗では地域一番店を取れず、郊外の大型ショッピングセンターに対抗しえないのです。

三つ目のそれは大型で一等地で展開された銀座SIXでも抜けていく店舗が後を絶たず、隣接ブランドが破格の条件で店舗を広げて穴埋めしている状態が常態化していることです。日本橋高島屋新館も鳴り物入りで入れた一等地の入口正面のパン屋はとっくに撤退し、上層階は穴だらけです。要するに大型店舗では床面積を埋めきることが最早できていないのです。特に上層階では集客ができず、渋谷で東急グループが開発した各ビルも所謂有名ブランドはあまりなく、無名だけれど面白い店が入れ替わり立ち替わり床を埋めている状態で、常設のかっちりしたブティック形式で、坪150万円も掛けた内装のブランドなどお呼びでないのです。どんなグレードでも構わないというなら、家賃次第でいくらでもいるでしょうが、館のコンセプトを崩して雑居ビルにしたらそれこそビル全体の価値が下がり、1Fのラグジュアリーは退店してしまうでしょう。一等地の百貨店だけは大丈夫と思い込んでいたメーカーからの逆選別が大きなうねりとなっているのです。

オンワードもサンヨーもそこには1店舗もありません。何処にでも在るブランド、或いは一過性の流行に乗っただけのブランドは、業種を問わず長続きしていません。結局ラグジュアリーブランドか化粧品それと食品しか消費者に支持されてはいないのです。それは一等地の高額な家賃を払う事がラグジュアリーや化粧品などの高額で高利益率商品以外はなかなか難しいという現実があります。特に衣料は価格がこの10年で1/3~1/5に下がってしまいました。その割には製造コストは逆上昇しており、利益が出にくい商材になってしまっているのです。これもマス対象商品ゆえだからなのです。百貨店の旧来型MDでは集客はできないのです。

消化仕入れ形態というのは実に百貨店側とメーカー側の意見の一致を見た最高の仕入れ方法でした。売れなければ家賃相当が発生せず、売れれば売れた分だけの支払いでよいというのは、製造コストに在庫コスト、販売員人件費を負担する側からすると願ったりかなったりだったのです。製造コストが値札の10%以内に収まっていた時代はそれでよかったのですが、上代破壊のSPA型メーカーが勃興すると、それに対抗すべく他のメーカーも上代を下げざるを得なかったのです。結果利益率は大幅に悪化し、メーカーは売れない売場を倉庫代わりに維持していくことが困難になったのです。これには消費者ニーズの変化が大きな要因でもあったのです。大量生産・大量販売品に興味が無くなってきていたのです。

現状、百貨店で売り上げが望めるのもと言えばラグジュアリーブランドと化粧品、それに食品に九州・北海道・京都展などの物産展くらいです。どれも消化仕入れで利益率が低いものばかりですが、一定の集客は見込めます。現状の業態のまま進めば遠からず都心型百貨店は1Fがラグジュアリーブランドと化粧品、地下に食料品で上層階は事務所化・ホテル化・レジデンス化してしまい、同質化することは否めませんし、中途半端なディベロップメントしかできません。銀座東急の失敗がよい例でしょう。

ではどうすれば良いのでしょう?

オンワードの鈴木恒会長が面白い話をしていました。「地方百貨店でブランドショップを展開しても、人件費や在庫だけで月に数百万円かかりますが、売り上げは数十万円台しかなりません。結果、苦渋の決断で地方店舗を数百店舗閉め、代わりに4か月に一度撤退したブランド全部のPOPUP展開を1週間だけ展開したら、4か月分以上の売上が取れているのです。」

この話は示唆に富んだ話です。消費者はいつでも買えるものは、色もサイズも揃っているネット販売で買っており、4か月に一度慣れ親しんだ販売員に会いに来るのだという事実です。消費者は何を買う、何処で買う、誰から買うという時代を経てどうやって買うという時代に入っているのです。ネットと実店舗での買い方を明確に分けているのです。地方では未だ「誰から買う」が強いのかもしれませんが。

固定化された売り場=ブティックという概念が実は私達を縛り付けている根幹かも知れません。NYのバーニーズ等には固定化されたブティックというものがありません。壁が無いのです。それ故毎シーズン毎に売れそうなブランドは展開ラックを広げ数多くのSKUが展開されそうでないものは縮小されるか消滅してしまいます。1か月も展開された商品は通路にパイプで値下げ展開され、シーズン中にもかかわらずバーゲン化してしまい、値引き幅の少ない内に販売してしまおうとしています。それ故、上備のラックは常に新鮮な商品が投入され、売れ切れ御免が販売の基本となっています。日本とは全くMDサイクルも処分スタイルも違うのです。

これは買取がビジネスの基本であって、LVとエルメス以外の、卸売りをしているラグジュアリーブランドの全てが同じような展開をしています。日本はラグジュアリーのJAPAN社が強すぎて、絶対バーゲンをしません。値下げをするくらいなら捨てたほうが良いと豪語しているのです。最も最近はアウトレットで処分しており、プラダなどはアウトレット用にモノを作っているくらいに日本人をバカにしています。

従来の固定化された理念による百貨店の再生はほぼ不可能でしょう。よれより既成概念をすっきり捨てて新しいMD、揃え方・見せ方・売り方の再構築をすることが不可欠ではないでしょうか?それに環境もブティック形式ではなく新しい展開方法の研究がやはり必要です。1階何々売場、2階何々売場という展開ももはやあり得ません。消費者ニーズに合致したライフスタイル別提案フロアーにならなければ消費者の興味は引けないでしょう。常設売り場に対抗したPOPUP売場という発想も必要でしょう。それと若いデザイナーや売場がない製造者やメーカー直販売場などを定期的に入れ替えながら展開するやり方など、ありとあらゆる観点・視点から現状を見直すことがまず第一歩でしょう。

シン・百貨店 第1章 第2項

消費者ニーズ把握

百貨店凋落の最大要因の一つは消費者ニーズの把握を怠ったことです。時代と共に変化した消費者ニーズや趣味嗜好、それに伴うライフスタイル変化の把握とその対応策を見出せなかったことです。消費者ニーズの指向まで理解せず単に商品のみの良し悪しや流行だけを追いかけていただけで、時代に沿ったマーケティングを怠り、消費者ニーズ対応を誤ってしまったのです。

消費者ニーズの変化は単に消費者自身の問題ではなく社会環境が大きくかかわってきています。例えば、商品を製造するために発生する様々な課題があります。製造コストを抑えるための過酷な低賃金労働問題や児童就労問題。大量に使用される顔料や染料による汚染水問題。あるいは大量に破棄される食品。これらの環境問題や労働問題など自然や人にやさしくない商品に対する反省や抵抗が消費者の中で大きなウェイトを占め始めているのですが、食品ロス一つとっても百貨店は何も対応できていないのです。

モノが生活の中に溢れかえった成熟社会ではもはやモノ中心ではなくコトに関心が移り始めているにも関わらず、百貨店はモノしか提供していない現状があります。昔の方が顧客囲い込み戦略の一環として、コンサートや旅行倶楽部、料理や陶芸などの趣味の教室などを主宰し、顧客固定化を図っていましたが今では費用対効果的に不採算として止めてしまっています。時代への逆行です。

百貨店は消費を文化と捉え、消費者をリードしてきた経緯があるにもかかわらず、ある時点から消費者ニーズを捉えることを放棄してしまったのです。消費者ニーズが多様化・多層化したため、塊としての消費者層を把握することが難しくなってきたのは事実ですが、一番の原因は目先の売上に拘り、机上のターゲット層を拡大することで売り上げが取れると錯覚したことによります。更に自分で汗をかき品揃えから見せ方・売り方まで自社で行わず、安易に消化仕入れを拡大することにより効率を追求したことで他社との同質化を招き、消費者から飽きられたという認識を持たなかったことです。過度の効率化追求、売り上げ至上主義が進化を阻み、事なかれのサラリーマン化が拍車をかけたのです。

消化仕入れを拡大しディヴェロッパー化しつつある百貨店の最大の役目は集客ですが、その集客策も前年踏襲主義が蔓延り、商品催しではもはや消費者を集めることができるのは北海道・京都・九州などの物産展だけで、費用の掛かる文化催しはすっかり影を潜めてしまいました。百貨店しかできなかった品揃え、見せ方、売り方、イベントなどが今や何処でもできるレベルになってしまっているのです。高い運賃を払ってわざわざ店頭に足を運ぶ必要性が無くなってしまったのです。

その最大の要因はネット販売の登場であることは否めません。サラリーマン化した百貨店は新時代を切り開く大いなる変革の波にも乗り遅れ、先行する企業からノウハウ的にも、技術的にも、運用ノウハウ的にも100年程遅れてしまいました。ネット販売も目先のテクニック策に走り、ネットの本当の可能性に気付いている百貨店は残念ながら無いのが現実です。単なる販売ツールとしか見ておらず、その可能性の探求は外部任せで、改革するためのコストの大きさに怯んでいるのが現状です。

では百貨店の再生はもはやないのでしょうか?

いや、方法はあります。消費者ニーズをしっかりと捉え、そのニーズに対応しうる新業態に進化することで百貨店は生き残れるはずです。そのためには、消費者がコトでもモノでも今何を一番欲しているのかを把握することが第一歩になります。目先の流行を追うのではなく、消費者が望むライフスタイル指向を個々のレベルで捉え、対応することが不可欠になります。今までのマス分析では対応できません。此処で言う消費者ニーズの把握とは、単に商品のみの事ではなく、消費者が望む新しい商品の揃え方、見せ方、売り方の全部を指すのであり、ネット販売時代の新しい消費ニーズ対応策の考案と実施を行わねばなりません。

現代の消費者ニーズはどのようになっているのでしょう?

➀ マスから個へ変わった消費者ニーズ

百貨店はマス顧客対応で成長してきました。高度成長と共に旺盛な消費意欲を掻き立てる舶来品やブランド品を率先して消費者に提供してきたのです。それは商品を通して新しい生活提案そのものでした。百貨店は「本物志向と商品の確かさによる安心」を販売してきたのです。消費者は流行に後れることを気にし、「他人と同じ」であることを望み、百貨店は大量生産品を大量販売することで消費者ニーズに対応してきたのです。消費者は次から次へと新しいものを購入し続け、消費が文化となっていたのです。

しかし時代の変遷とともに消費者は変化していきました。他人と同じでなければ心配だった「流行の時代」から、他人と同じでは嫌だという「個性の時代」へ。そして自分が欲しいのはモノではなくは体験することへと変化していったのです。大衆から分衆へ、更には個へ。そして個はいろいろな顔を持つ多層化へと変化しマス消費の時代は終焉を迎えたのです。

しかし百貨店の消費者対応策は変わらず、目先のトレンド追及のみでライフスタイル提案まで売場で具現化することができず、結果、売り場はメーカー主導MDとなり、何処の百貨店へ行っても同じ顔ぶれの商品が並び、百貨店の個性は全く消えてしまう羽目となりました。消費者はどこでも同じ品揃えの百貨店から個性的な専門店や在庫のきちんと揃ったメーカー直営路面店へ移動してしまったのです。百貨店はここでしか買えないといった専門店等の競合業態に負けたのです。特にSPA型専門店には太刀打ちができなかったのです。

② ネット販売登場と百貨店の対応

そんな時代がしばらく続きそこへネット販売の登場です。革命的であり百貨店にとっては致命的でありましたが大企業の御多分に漏れず、最初は各社とも否定から入りました。「試着ができない」「手に取らないと素材感がわからない」「配送費用が掛かり消費者に負担が大きい」「シズル感がない」などと、自分が理解できないものは認めようとせず、口先だけは「ネットの時代」「ネットとリアルの融合」などと言っていましたが、技術的な理解が無かったために、その小売りを変える可能性や社会全体をも変えてしまう革命性及び技術の進化スピードなどは理解どころか意識の外にあったのです。

しかもネット販売の本質を見抜けませんでした。TVショッピングのPC版くらいとしか思っていませんでした。

それ故、興味本位の取り組みは早かったですが、本格的に取り組んだ百貨店は高島屋くらいでした。それでも取引先在庫の引き当て方法や決済方法、商品検索エンジン開発など取り組まねばならない課題があまりにも多すぎ、小さな規模での展開しかできなかったのです。そうしているうち後発や新興の楽天やゾゾタウンに追い抜かれ、今では100年ほど後れを取っています。

百貨店業界は消費者がこの新しい技術に飛びつくとは誰も想像だにしていなかったのです。大手は今までの小売業が根本から揺るがされるとは思わず、売り場を持たない・持てない弱小メーカーが細々と飛びつくだけと考えていたのです。しかし技術の進歩は想像以上に早く、機能は日進日歩で、利便性や可能性はあれよあれよをいう間に進み、企業より消費者の方が先に利用方法や可能性を追求し始めていったのです。

③ 早かった消費者の反応

消費者はこの機能に飛びつきました。お仕着せの消費に飽きていた若い層は特にこの利便性にいち早く気づきました。24時間、何処からでも買え、店頭に無い商品まで探せる機能は他人と違う、あるいは自分だけの趣味嗜好を満足させてくれる格好のツールだったのです。「欲しいものが欲しい時に欲しいだけ買える」というマーケティングの理想を実現させたのです。多様化し多層化した消費ニーズ対応にはまさにうってつけのツール登場でした。

この機能をどう使うか、どう活用するか、販売以外の広告ツールとしてどう使うか、など無限の可能性が広がり、企業PRやデータ収集、配送方法などに革命的な変化をももたらして今日に至っています。「この機能をどう使うか」といったアイデアが巨万の富を生み出す宝箱になっているのです。しかし百貨店は未だネットで得られる情報の貴重性に気付いてはいません。ネットの販売機能だけに気を取られ、検索機能や購買履歴から売られる膨大な個人データの価値に気が付いていないのです。

④ 個人マーケティングの幕開け

ネットで蓄積されるデータは無尽蔵といってよいくらいの膨大なデータが収集できます。このデータをもとにマスマーケティングから個人マーケティング=個人カスタマイズされた消費対応が可能になるのです。これにより百貨店は自社ネットHPに来店された消費者の詳細まで分析することができるようになり、自社の品揃えに生かすことができるのですが、自社売り場を放棄してしまった現在、消化仕入れやテナントで入っているメーカーや小売り企業にとって多大なメリットがあるはずです。百貨店はこのデータを分析し、各メーカーや小売企業にデータを販売することさえできるはずです。そうなればマス向けのざっくりしたマーケティングではなく明確な消費性向が把握でき、モノ創りや仕入れを効果的に行うことができるのです。「個マーケティング」の始まりです。

今日ではネットに限らず来店した消費者をAIカメラで分析し、その消費性向や購買予測迄可能になっているのです。データ分析と活用という従来の手法が、桁違いのデータ量と分析力の飛躍的向上により需要予測を可能としているのです。この力を利用しない手はありませんが、現在の百貨店にその発想は未だ全くありません。

⑤ ネット販売の真の脅威

ネット販売の最大の効能は、消費者と生産者を直接結び付けたことです。中間搾取業であった小売業はその存在意義を薄めていくことになるのです。代わりにネット上の新しいデベロッパーが大きく飛躍する時代が始まったのです。消費者はいつでも好きなものを探せ、一物他価で展開される商品を自由に選べ、てリアル店舗では販売されていない商品まで探すことができるようになったかと思えば、個人が要らなくなったものを個人自ら販売できるレベルにまで進化してしまったのです。中間搾取時代の終焉の始まりです。

のようにマスマーケティングから個マーケティングの時代に突入し、明治維新と同じような革命的状況下に小売り全体が置かれることになりました。しかし残念ながら百貨店は個対応もマーケティングも対応策も未だ持ち合わせてはいないのが現実です。

百貨店はまず、ネットの機能を理解し、消費者ニーズがどう変化しているのかといったマーケティング分析から始め、どう百貨店が利用したら良いかを研究しなければなりません。ビッグデータを活用した個別マーケティング手法を開発し、そのマーケティングから個別の消費者に合った商品の揃え方、見せ方、売り方を選別し、個別対応する時代になったという認識を持つべきなのです。

上記内容を実行するためにはまずメガデータ分析マーケティングを行う部署が必要になります。消費者ニーズを個人レベルで分析し、本人でさえ認識しきれていない自己の購買予測を立てられるレベルの分析によって、品揃え・見せ方・売り方迄変えることが可能になるのです。

貨店はこの消費者のメガデータ分析と活用とを早急に始めることが百貨店復活の第一歩になります。

シン・百貨店 第1章 第1項

百貨店の不調が止まりません。

新聞ではこの夏、百貨店は前年比二桁の伸びを取り戻したと発表され、株価も高値を付けています。しかし、残念ながら夏の復調は一過性の状況で、根本的な解決からは程遠いのが現実です。夏の売上回復はこの9月には急速に萎み、苦戦を強いられており、コロナ禍前の8割レベルにしか戻ってはいません。

「コロナ禍のせいで観光客が減ったことが売上減の最大要因なので、コロナ化が終焉すれば観光客が戻りまた爆買いで売り上げは急速回復する」と百貨店関係者はよく言いますが、本当にそうなのでしょうか?百貨店は観光客の爆買いに頼れば生き残れるのでしょうか?

コロナ禍前は中国人を始めとする観光客増加による爆買いが大きな売り上げ要素となり、どの百貨店もインバウンド客誘致に血道をあげていました。確かにその購買力は凄まじく爆買いは日本経済を動かしました。しかし、その恩恵を受けたのは大都市部の百貨店のみで、地方都市の百貨店は全くその恩恵を受けてはいませんでした。百貨店業界全体が受けたわけではないのです。

ですからコロナ禍で観光客が減り、爆買いがなくなったから百貨店が不調というのは必ずしも正しくはありません。爆買いが始まる前から百貨店の日本人消費者離れは著しく、売り上げはじり貧だったのです。その窮状を救ったのが天の恵みであった「爆買い」だったのです。それ故、根本的な売り上げ減少の原因分析とその対策は為されないまま、不振原因は「インバウンドの消滅」と一言で片付け、根本的な対策は何もしないまま全てをコロナ禍のせいにし、改革を怠り、雨乞いをするかのように爆買いの復活を祈るばかりでは復活は程遠いとしか言いようがありません。

このような理由で爆買いだけを待ち望んでいる百貨店に本当の復活があると考えるのは難しいでしょう。しかも観光客が戻っても従来のような爆買いが戻るという保証はどこにも無いのです。それより不調の原因を明確に把握し、確実にその対策を講ずることが今こそ必要な事なのです。もう一度日本人消費者のニーズを掴み、売り上げの主体を日本人に戻さない限り百貨店という業態は存続しえないのです。其の為には百貨店という業態を見直し、22世紀まで残りうる百貨店に進化させていかねばなりません。今の延長線上に未来は無いのです。

でもコロナ禍前、なぜ百貨店の存在意義が薄れ、消費者に支持されなくなってしまったのでしょうか?

ネット販売という新業態が売上を奪ったせいでしょうか?確かにこれは明治維新に匹敵する社会変革を、特に小売業にもたらしました。これまでも小売りの王者だった百貨店に対し、スーパーやGMSなどの強豪の出現があったり、専門大店は百貨店から取り扱いアイテムを多数奪っていったり、通販やTVショッピングは幅広い層の消費者に支持されており、各業態の売上高は未だに伸張し続けています。しかもネット販売はこれらの出現インパクトとは比較にならない程の影響力を持っています。これらの他の小売業態はコロナ禍でも売り上げを伸ばしたり、Ⅴ字回復したりしていますが百貨店だけが回復しないのです。それは一概にインバウンドのせいだとは言い切れません。インバウンドが始まる前からの凋落傾向だからです。

では何故百貨店の凋落は止まらないのでしょうか?

かつて百貨店の強みは、➀ワンストップショッピング ②新しいもの・トレンドのもの・ここでしか手に入らないものが揃っている ③ここで買えば安心、といったものがありました。しかし、消費者のニーズ多様化につれ、その買い方や買う場所・買い方に大きな変化が現れて百貨店の優位性は崩れていってしまいました。その最大の要因は消費ニーズに対応できなかったのではありません。しなかったからです。残念ながら長きに亘った王者の地位に慣れ親しみすぎ、自ら時代を感じ、動こうとはしなかったのです。汗をかこうとせず、安易な消化仕入れへ商売の軸足を移していったのです。※1

※1 筆者が百貨店へ入社した時代は、消化仕入れが10%を超えたら危険だと言われていました。現在では90数%が消化仕入れです。結果、取引先の売り場と化し、品揃えは取引先が売りたいモノ一辺倒になってしまい、どの百貨店へ行っても店頭にある商品は同一化してしまったのです。

現在の消費者はネット情報社会の進展につれ大きく変化しました。結果、百貨店でなければ手に入らない商品はもはやなく、何処ででも買える商品のみを扱っている業態では消費者を満足させ、集客させることは叶わないのです。

百貨店凋落の大きな要因は以下の3点が挙げられます。

➀ 消費者ニーズ変化に対応する遅れ   : 消費者の趣味嗜好・ライフスタイルの変化やSGDS・環境問題などへの未対応

② 業態の時代変化に対応する遅れ    : ネット時代の新しい店舗役割構築と消費者対応策(揃え方・見せ方・売り方)開発

③ AI技術が変える社会変化に対応への遅れ: AIを活用した新・marketing戦略構築と個人ニーズ対応

小売業は、時代毎に変化する消費者の価値観やライフスタイルに合わせて情報提供や商品提供することが必須のビジネスです。そのためのマーケティングを怠り、最新の情報データを収集・分析をせず、顧客ニーズを読まずに安易な前年踏襲の品揃え・商品展開方法・売り方では消費者が離れていくのは必然です。

ましてや、拙書(お客様、閉店です)でも書きましたが、多層化する消費者のニーズに対応するには新しい業態として百貨店を再構築することが不可欠です。その為には百貨店がかつての進取先取りの精神を取り戻し、時代の最先端の技術を活用して消費者ニーズに対応するのみならず、消費喚起を誘えるような新しい小売業を創業するべきなのです。

次回から百貨店が生まれ変わる策を提案したいと思います。

コロナ化後の世界 №6-6

地方百貨店はどうやって生き残るべきでしょうか?

前前回に百貨店の目指すべきMDは高級化路線しかないと言いましたが、地方百貨店にも同じことが言えるのでしょうか?残念ながら同じではありません。地方でも百貨店は高度成長期やネットがない時代に消費者の上昇指向ニーズを一手に引き受けていました。都会でしか買えない商材や大手メーカーの商品をきちんと品揃えし、非日常を具現化して圧倒的支持を得ていたのです。

しかし今日、大都会の百貨店でさえネット販売に押され、消費者ニーズ&ライフスタイルの変化に翻弄され、従来のMDでは立ち行かなくなっているのです。絶対的消費者数が少ない地方では百貨店がもはや大手メーカー店舗が存立しうるだけの売り上げを維持できず、赤字拡大傾向から脱却できる見込みがない中では全国区的な大手メーカー商材を展開するのは不可能です。ラグジュアリーブランドのような高級品は売上だけでなくイメージ戦略に合わない地域には出店しませんし、国産高級品も在庫に成り易く経営を圧迫するでしょう。そこで高級品はその売り方を研究し、外商顧客中心の販売スタイルで展開すべきでしょう。

現在地方百貨店を視察に行きますと、フロアーのあちらこちらにブランドや大手メーカーが撤退した空き地が目立ち、その場所を埋めるべくちぐはぐな感が否めない、アイテムもテイストも全く違う商材がPOP・UPショップとしてだらだら展開されているのが目につきます。もはやMDがどうとかいう以前になってしまっています。取り合えず何でもよいから場所埋めをしとこうという結果でしょう。

ネット全盛時代にどうMDを組むかという課題は、A社が駄目ならB社を入れるといったことではありません。消費者ニーズ変化にどう対応すべきか、という基本的課題を解決すべきで、その結果どう館全体に集客するか、フロアー全体を構成するか、そのパーツとして具体的売り場展開策を検討すべきなのです。30年全盛を誇った商業施設としての役割、特にブランド別ブティック型売り場展開はもはや消費者の支持は得られず、百貨店側からしても面積効率を悪化させる元凶となり、改装経費も膨大になるので新しい売り場展開策を模索すべき時代になっています。

それ故、MDを組む前に実店舗の役割を明確にしておく必要があります。

従来のようにただ商品を並べても消費者は戻ってきません。それよりもう一度地元消費者が必要と思う施設として、大型店舗を活用するべきであります。百貨店は施設としては駐車場から食堂まで展開しています。飲食を新規開業しようすると莫大な経費が掛かる厨房陽が要りませんし、POPUPやイベント展開に必要な催場もあります。あとは地元に何を提供したら、消費者が集まってこれるかというこの一転に尽きます。

百貨店は大抵旧市街の一等地に立地しており、周囲はシャッター通り化しています。ちょっと離れたロードサイドには大型専門大店が軒を連ねており、各店舗の大きさと品揃えには到底勝てません。百貨店としての規模はあってもアイテム毎では到底彼らの敵ではありません。彼らに対抗するにはやはり百貨店でしか売っていない商材と、ワンストップの利便性を提供するしかありません。

時代はモノからコトへと大きく消費者ニーズを大きく変えてしまい、単に物販の店舗を集積しても消費者は呼び戻せません。ロードサイドの大型専門店や総合スーパーも決して楽な状況ではないのです。コンビニやネット販売の拡大で、「便利」というキーワードは大型商業施設からは消えてしまい、消費者は違う他の価値を求めてそれら施設へ行っているのです。残念ながら百貨店はその他の価値観から漏れてしまい、消費者のターゲットから大きく外れてしまった結果が今日なのです。

それをもう一度消費者ニーズの価値ある存在として受け入れてもらうにはどうすべきなのでしょう?

それには消費者がわざわざ来店してくれるコンテンツを店舗に積み込むことです。例えば、郵便局や銀行などの公共事業。病院に歯医者、保育園に塾、ジムやカラオケ、老人ホームやマンションがあっても良いかもしれません。更に食堂では昼間は起業したい地元主婦や若手による専門店(弁当や・ラーメン屋・焼肉屋・蕎麦屋・寿司屋/てんぷらや)。夜はクラブにバーに変化する二毛作業態化を図ります。何しろ地方都市の中核に返り咲く商品ではないMDを組むのです。

4か月に1回の外商フェアーでは普段扱えない高級品を、ファッションフェアーでは大手メーカーのPOPUP展開を、物産展や商品催しを常に展開して集客を図ることが百貨店の一番の業務になります。食品は思い切って成城石井のフランチャイズになるコトも良いかもしれません。地方に成城石井が展開できたら大型スーパーにでさえ対抗できます。制度化粧品は百貨店の独占です。地元のクリエーターの消費jjは積極的に取り上げ、ふるさと納税対象商品になるよう支援するのも手です。

百貨店のOGやOBは日給1000円の義勇兵として、店舗周辺の清掃や児童や老人の送迎バス運転、老人ホーム巡回などを行い、地元活性化を助けます。何しろ、お殿様と言われた百貨店が立ち上がり汗をかく姿を消費者に見せることが重要なのです。これなくしてMDは始まりません。地方百貨店は「街おこし」と一体になり、地域商店街や街全体の活性化の大きな役割を担うという発想が不可欠なのです。

しかし百貨店は従来の百貨店としての存続は計画してはいけません。もう百貨店形態では成立せず、存立しえないからです。あくまで地域の中核施設として、消費者が望むライフスタイル全般のニーズに対応すべき施設に転換するかが最大の問題なのです。商業施設から集合施設へ転換をすることが不可欠なのです。

地方百貨店の存続は、実店舗とネット販売との連動が不可欠になります。特に上手くネット販売を実店舗と組み合わせることが重要です。何故なら消費者が望むものすべてを店頭に揃えても、全部売れる保証はなく、衣料など特に色・サイズのあるものはどんなに売れても必ず残るものが出ることと、売れるまで時間がかかるという点です。店頭回転率は恐ろしく悪く、商材は販売チャンスを失してしまうことが多いということです。取引先は、買取以外の消化仕入れや委託仕入れでは商品を寝かすことになり、残れば在庫負担が重くのしかかります。

これを解消するのがネット販売になります。在庫はメーカー在庫を利用し、売れたらメーカーから納品しても直送しても良い、新しい売り方を研究すべきです。店頭にはフルカラー・フルサイズではなく、サンプルのみの展開で試着をして貰い、欲しければお取り寄せという方式です。この方式だと、メーカーの負担も少なく済むし、百貨店もブランド商品を維持できます。

この時店舗はブランドごとのブティック方式ではなく、メーカーの全ブランドを一か所に集め展開する方法か、テイスト毎にブランドやメーカーの垣根を越えて一緒に展開する方法が現実的でしょう。更に撤退してしまったメーカーには年4回、季節ごとに全ブランドを集めたPOPUP展開を要請します。季節商材を期間を決めて販売することにより、メーカー側も在庫を回すことができ、ロス削減になります。

実際オンワード樫山では撤退した百貨店で年3回のPOPUPショップを展開し、1年分の売り上げを超える売り上げをたった6週間でたたき出しております。経費が掛からない分確実に利益が出ており、新しい売り方として注目を集めています。

商品はネットでは全国展開商品と地域限定地元メーカー商品を掲載し、幅広い地元層に対応します。実店舗では通常ネットで販売していない地元商材と食材が中心になるでしょう。

地方百貨店は地元の郊外型総合ショッピングセンターと競合しても、ロードサイドの専門店と競合しても残念ながら勝てません。それよりわざわざ来店させる集客策を、MD面や宣伝面で徹底して研究するほうが重要です。現在ロードサイドに在ったかつての物流倉庫を専門店に貸し出したり、駐車場を完全賃貸しにしたり、自前の戦略なしで細々と生きている百貨店ばかりです。企業再生ブラーカーに頼り最後の資金を騙し取られたり、社員を減らすことばかりで一切打って出る施策を持たない経営層ばかりです。

こんな状況下になっても危機感すら持っていない経営層は想像以上に多いです。経営層も社員も自社だけは絶対つぶれないと思っている百貨店は多いです。でもそんなことはありません。閉店は目の前に迫っているのです。

 

コロナ禍後の世界 №6-5

百貨店の採るべきネット販売MDとは

ネット販売の急速な拡大の裏には、利便性向上の為の飽くなき技術革新の進歩があります。検索機能から受注・返品機能、そして物流・配送機能、更には商品管理や追跡機能と、複数にわたる業界の連携と膨大な投資による拡大意欲がネット販売の隆盛を支えているのです。

百貨店は実店舗の再構築と同時にネット販売にも本格的に参入すべきですが、今から百貨店が自主でネット販売を強化するといっても、システムも商品も現状レベルでは出遅れ感は否めず、規模・機能・商品の厚み&奥行きで先行企業から100年は遅れています。通販カタログのデジタル化や実店舗の宣伝版レベルのネット販売では新聞掲載広告の置き換えにすぎません。

新規に巻き返すにはまず新しい技術を理解でき、その機能で何をすべきかを発想できる人員が不可欠になります。現在ではネット技術者は揃いつつありますが、ネット戦略を構築でき、百貨店のネット販売はどうあるべきかという指針を出せる上層部が必要です。IT用語すら理解できず、否定から入り、投資も小出しで田舎の温泉旅館みたいな継ぎはぎのシステムを開発させた経営者は要りません。従来のシステム部では対応できません。新規に中途採用で人員を募集すべきです。まずはIT時代に相応しい陣容を整えるべきです。

では体制が整ったとして、百貨店がやるべきネット販売のMD戦略は如何あるべきでしょう?

実店舗では高級品MDを取るべきですが、ネット販売ではどうあるべきでしょう。ネットでの高級品は難しいものがあります。やはり手に取り素材や機能、サイズ感や素材感を実感しないと高級品は難しいからです。だからと言ってメーカーから仕入れた何処ででも買える一般商材でよいのでしょうか?それは違います。実店舗と同様、百貨店のネット販売でも他業種や他業態と同じものでは顧客がわざわざHPに来るとは思えません。やはり百貨店ならではの商品が求められるでしょう。同時に百貨店の強みであるギフト商材も展開する必要があります。

現状多くの百貨店ネット販売にみられる通信販売商材や、既存カタログ商材をデジタル化するだけでは全く意味がありません。基本的にはいわゆる百貨店品質を維持したオリジナル商材が不可欠でしょう。実店舗のPB商材より価格的に求めやすい定番商材と、どこよりも早い新商材、埋もれて世に出ていない高品質商材、職人技が光る手作り商材などや、販売拠点やルートを持てずに販売機会がないけれど機能やデザインが優れている商材、などを百貨店バイヤーが世界や国内から探し出し、販売するのが百貨店らしいネットMDです。百貨店はこのような埋もれている才能を発掘し、紹介するインキュベート機能=パトロンであることが不可欠なのです。

そのためには長い耳を持つ必要があります。常に新しい消費者の動きや消費者ニーズ、街の片隅で随時発生する新しい商品開発や、ネット上で話題になるコトやモノの情報や動向を常に最先端で捉えたり、夜のニュースで紹介された商材を翌日には店頭で紹介したり、一方で常日頃こんな商材があれば良いなあ、といった商材を開発したり、消費者の意見を常にリサーチ&収集することが不可欠になります。

方法はAIを使ったメタデータ収集と分析が必要になります。従来のような顧客アンケートでは無く、ネットの視聴履歴や検索記録、既存メディア情報や広告反応データなどあらゆる生活全般情報からのメタデータが必要であり有効です。これらの膨大なデータをどのように分析し、活用するかがこれからの企業の実力になり、圧倒的差がついてくるでしょう。

バイヤーはメーカーの新製品を導入するだけの業務から、自ら消費者ニーズに対応しうる商材をあらゆる手段を駆使して探し出したり、メーカーや消費者とコラボして開発したり、消費者ニーズの深堀を行うことが求められます。開発した商品は買取を基本とし、詳細なスケジュールを持った販売計画に則って展開されます。商品は潤沢に用意されるというよりは売り切りごめんを基本に、常に新製品が投入されるようスケジュール化されねばなりません。いつでも買える商品は必ず在庫として残りますし、バーゲンに価格変更しても消費者はもはや踊らないからです。

一方百貨店が得意とするGIFT商材も定番メーカーだけでなく、切り口を変えた展開が求められます。よい例が食べログが展開している「秘書の選んだ手土産」というのがあります。一流企業の秘書が、役員が持っていくための手土産を選んだという代物ですが、百貨店が得意とする誰もが知っている老舗ではなく、最近人気だとか、若い子に人気、デザインがかわいい、体に良い、だとか若い世代の秘書目線で選定された商品群で非常に面白いものがあります。百貨店のバイヤーがまず知らない隠れた名店やヒット商品があるのです。

何処にでもある、誰もが知っている、という発想から「秘書」という特定の、一種憧れの職業の人が選んだという安心感に支えられ、誰もが興味を引くのです。このようなMDの切り口はネット上では広範囲の消費者に支持を受け易く、実効も大きいものがあります。これに続くMDの切り口があればネット上での販売に大きく貢献することは間違いありません。

一時、有名ブロガーが発信する商材が圧倒的人気を誇ったことがあります。最初これは歌手や有名人の着ているものがヒットしたり、食べているものが人気になったりするのと似ていました。しかし直ぐにブロガーが行うコーディネートや着こなしに人気が集まっていることが判明し、独自のセンスやライフスタイルが「ウリ」になっていたのです。そこで一部の百貨店やメーカーはこぞってブロガーを活用しましたが、それは正解でした。しかし、現在では一程度期間が過ぎると新しいコトやモノの発信が減り、人気ブロガーも少なくなっています。

やはり消費者の身近な感覚で受けたけれど、常に新しいものを提案し続けることは難しかったと言えるのでしょうか。百貨店のバイヤーはこれらの経験から、自身の感性や情報網に磨きをかけ、本来のバイヤー業務を遂行すべきです。先輩から引き継いだ大手取引先におんぶで抱っこの仕入れ姿勢では生き残れません。ここいらで目を覚まし、自分の足で歩くときです。

優秀なバイヤーが育ってもそれだけではネット販売は成功しません。ネットでは価格の他、返品や交換のやり易さや、サイズ表示・機能表示の見易さ、商品の探しやすさなどの機能は当然必要です。在庫管理だけでもリアル在庫が把握できなくては販売などできませんし、返品・交換商品は直ぐに再生できる体制を自社内に持つ必要があります。従来のようにいちいち取引先に戻していては時間ロスが大きく、販売機会を逃す危険が増大します。百貨店はこれらの新体制を早急に組むと同時に、遅れを挽回するために今までにない機能を取り入れ、消費者にアピールする必要があります。しかも百貨店サービスとして修理・保管などの他業種では無いサービス機能や、他業種でも未だできていないサービス機能も付加する必要があります。

それは消費者の趣味嗜好を完全に把握できる機能です。ネットでは検索した商品を履歴としてデータ把握ができる機能が可能で、音楽業界が盛んに活用している機能です。リコメンド機能と言いますが、消費者が検索した複数の音楽をデータ化し、消費者のききたい音楽の傾向、あるいはアーティストの曲をAIが判断して消費者にSNSで推薦してくる機能です。

この進化版が㈱ソケットと㈱ノーマジーンの共同開発の「感性メタデータ」機能になります。これは商品に数千の感性/感覚表現メタデータが付加され、複数検索された結果の共通項目から消費者の趣味嗜好さらにはコンプレックスまで判断する優れものです。この機能を使うと消費者本人も自覚していなかった消費者の隠れたニーズまで高精度で判断でき、その結果消費者のニーズに合致した商品をリコメンドできるという仕組みです。消費者が検索中にリコメンドが可能なので、検索中にヒットする可能性が飛躍的に拡大します。実験では売上が2桁の伸びをしたそうです。

これは一つの例で、このような新機能ソフトは毎日開発されており、この機能をどう使うかが販売側の能力になってくるのです。

ここでは感性メタデータがポイントになってきますが、流行商品も当然販売するので、年3回、NY、PARIS、MILANOからその季節のキーワードを取り入れて流行にも対応でき、常にシステムソフトが更新できるようになっているそうです。

後発の百貨店がネット販売に参入するにはこのような新しいソフトや機能を谷先駆けて導入し、消費者の利便性やニーズに素早く対応・提案できることが不可欠になってくるでしょう。

他には無い商品・サービス・機能がなければ百貨店がこれから参入しても勝てないでしょう。

コロナ禍後の世界No.6-4

百貨店の採るべき新しいMDとは?

百貨店が高額品を販売するためにはMDの変更だけでは足りません。徹底したサービスの再構築・高度化が必要です。

1000円のTシャツを売るのではなく10万円のTシャツを売るのですから、ハンガーで什器にブル下げているのではなくきちんとディスプレイされ商品は引き出しの棚の中にきちんと畳まれて保管されていなければなりません。販売員がきちんと製品説明・商品説明、トレンドコーディネート・ベーシックコーディネートが説明できなければなりません。洗濯の注意から保管の注意など多岐に渡るお客様の関心毎には適格に且つ確実にお答えする体制と販売員教育が不可欠になってきます。決してメーカーからの派遣社員ではできない、百貨店ならではの接客技術を磨く必要があるのです。

一番の接客力は商品知識です。製品知識とは異なり、商品のトレンド性やコーディネート情報、今年流の着こなし、顧客の感性や好みに合わせた提案などが商品知識の根幹を成します。製品知識は素材や洗濯情報、お手入れ方法、保管方法など製品に関する情報になります。

同じ商品でも顧客の年齢・テイスト・使用目的・趣味嗜好などで勧め方は異なります。どの顧客に対しても同じ接客や通り一遍の接客では顧客は満足させられません。近年の百貨店売上低迷の一因はこの接客にあったと私は視ています。マニュアル通りの接客ではネットで商品情報を完璧に頭に叩き込んだ消費者には敵いません。マニュアルから一歩も二歩も進んだ接客が為されなければ、専門店の商品好きの販売員やオタッキーな販売員には敵わないのです。ブロガーのコーディネート力には敵わないのです。

更に最近ないがしろにされているVMD(ヴィジュアル・マーチャン・ダイニング)が重要になってきます。新しい時代の新しい顧客層=新富裕層や、オーセンティックでベーシックなライフスタイルを好む富裕層、には各々に対して店側がきちんと提案しなければ商品価値が十分には伝わりません。売り場で展開している全商品にスポットライトを当て、品番や売り場単位を超えたライフスタイルやスタイリングで見せていくことが求められています。そのためには只のディスプレイでは顧客の興味を引き付けることは難しく、色々の情報を瞬時に伝えられるVMDを販売員はきちっと理解の上、計画的に展開スケジュールを組んで実施されるべきなのです。

このような自社販売員を育てるべく、全日空のCAにお辞儀の仕方を学んだり、言葉使いを学んだりせず、自社教育をしっかりと人事部にお願いしたいです。百貨店は全日空のお手本になった企業にもかかわらず、本末転倒し、教育を放棄した人事部などリストラされるべきです。顧客に対して決して友達言葉など許されるはずも無く、私服などもってのほか、きちんと制服に身を包んだ正社員が※2接客をすべきなのです。教育を全く為されず、新入社員から販売員管理ばかりやらされている百貨店の社員は販売員としては現状最低レベルといっても決して過言ではないでしょう。優秀な販売員を中途採用したり、給与制度に売上インセンティブを付けたり、ともかく優秀な販売員確保が急務です。

また、販売の為の環境整備も不可欠です。現在百貨店で高級というとブティック形態が主流です。しかし、街中の個店をそのまま持ち込んだような店舗はもう飽きました。それより、フロア全体を一つのラグジュアリーな壁の無い圧迫感ない回遊性の高い空間に設え、高級家具什器や広い試着室、ゆったり展開された展示什器で、消費者はゆっくりソファーに座りながらお茶を飲みながら販売員が運んでくる商材をゆっくり吟味する、といった環境が必要でしょう。ニューヨークのバーグドルフやロンドンのセルフリッジなどを研究するべきです。

仕入れ先の言いなりに3年に一度、300万円/坪も掛けて内装を一新するなんて馬鹿な事は早々止めるべきです。ラグジュアリーブランドはただでさえ百貨店の優良顧客名簿を横取りし、望外に儲かっているにもかかわらず条件を毎年悪化させ、店舗の至近距離に大型店舗を展開させ、百貨店内店舗はストック場位の位置づけに貶めています。それでも対抗しうる自社オリジナル高額ブランドを持たない百貨店は屈辱的に従わざるを得ないのが現状です。早急にラグジュアリーブランドを凌ぐ高級品開発を行うべき理由がここにもあります。

効率追求型の狭い空間に什器や商品を詰め込んだ売場展開は、あくまでも売場主義で顧客主義ではありませんし、消費者はそんな場所で商品知識も製品知識もない販売員から物を買いたくはないのです。ましてや、今後狙う顧客は自分のライフスタイルに合った「何か良いもの」を探しに来られるのです。決して「良くて安い」商品を探しに来るのではありません。価格ではなく、自分の趣味嗜好や興味を十二分に満足させてくれる商品であることが最重要なのです。何しろアイテム毎に世界の一流品で売場が満たされているのです。どの商品も主役でなければなりません。そして売場はそれら商品が映える場所でなければならないのです。

百貨店は今までの中間プライス戦略を捨て、高いがそれなりの価値がある商材の発掘及び生産を行うべきだと説いてきました。何処にでもある、何処ででも買える、皆が持ってる、といった商品を販売していてはいけません。百貨店が販売するには何の価値もないのです。同じ館内にユニクロやZARAも要りません。一般服も服飾雑貨も要りません。必要なのは世界から選りすぐってきた商品のみです。同時に次世代に羽ばたくデザイナーや工房、職人などの作品や商品をインキュベートすることも大事です。館内に嘗てあったような美術画廊やサザビーズのような高級オークションが在ってもよいですし、今一度自社ターゲット戦略、MD戦略、販促戦略、などを再構築すべきなのです。

これからは営業部やMDなどの真価が問われる時代です。頭の古く固い役員層の言いなりでは生き残ることはできません。今までの成功体験ややり方では全く通用しなくなることを自覚しなければなりません。今こそ目覚めるときです。

コロナ禍後の世界№6-3

実店舗の百貨店が見直すべきMDとは?

消費者にわざわざ来店していただくためには、消費者が、興味があり来店して直に触れたい、といったMD展開でなければ消費者を呼び戻すことはできません。それは一体どんなMDなのでしょう?

消費者ニーズが多様化した今日、年齢軸や収入軸、単なるテイスト軸のような今までのターゲット分析&設定では消費者の実像を把握することはできません。ライフスタイルは千差万別ですからライフスタイル別に消費者全員に対応するMDを組むこともできません。

しかし、多様化しても消費者全員に関心がある、あるいは不可欠な商品である、といった商品群を揃える必要があります。

またネットで購入できる商品やメーカーのナショナル商品を並べても消費者を呼び込むことはできません。

わざわざ来店しなければ買えないといった商品群です。

どんな階層でもテイストでもライフスタイルでも共通の切り口でMDを構築するためには、百貨店自体が得意とし、他業態が敵わない、ましてやネットでは真贋問題やメーカーが独占してなかなか買えないといった切り口の商品群です。

それは百貨店が元来得意としてきた「高級品」です。これに特化したMDを敷くことが消費者には訴えることができると思われます。どんな階層や年齢層、テイスト軸の消費者でも、誰もが欲しがる高級品でしか百貨店に「集客」させることは今や不可能となっています。

今百貨店に来店いただける消費者の興味は、制度化粧品、デパ地下、ラグジュアリーブランド、あとは北海道物産展に京都物産展くらいしかありません。どれも一般品と比べると高額商品であり、百貨店に来なければ変えない商品群であります。

言い換えれば消費者は百貨店に一般品より高額なブランド品や普段買えない老舗の味を求めていると気付きます。3足1000円の靴下や1000円のネクタイはわざわざ電車に乗って百貨店には来ないのです。コンビニか駅中のキオスクで良いのです。

残念ながら、現在の百貨店は何処ででも、当然ネットでも買える一般品が中心です。わざわざ来店しないと買えない商品はまず無いのです。

その故、国内から、海外から未だ日本未上陸や日本製ながら海外ラグジュアリーブランド製品を製造しているんメーカーや工場を探し、百貨店のオリジナル商品を製作するしか策は無いのです。まさに百貨店PBの復活です。こういうと百貨店マンは99.9%顔を顰めます。なぜならかつて百貨店は他店との差別化政策として大量のPBブランドを獲得あるいは製造した時代があり、そのほとんどが大量在庫を残し大赤字だった苦い経験があるからです。

従来はナショナルブランド製品と同レベル・同テイストで安価な上代が基本のPBか、食品などは海外有名ブランドの独占販売だけでした。結果は拡販しないのが大前提でしたから大量の在庫で失敗したのです。唯一伊勢丹のana suiだけが拡販し成功しましたが、現在は無くなってしまいました。

しかし、この度のPBは他店との差別化では無く、自社ネット販売との差別化なのです。しかも大量生産による上代を抑えた商品化と違い、少量、売り切り御免の高級品制作なのです。1000円のTシャツを1000枚売るのではなく、10万円のTシャツを10枚売ることを目指すのです。売れたらそれで終わりで追加生産はせず、次の商品展開を行うのです。

基本的には定番が主体になるでしょうか、世界的な一流デザイナーと提携するか、日本の若手デザイナーのインキュベート機能として制作するかのコンバイン型が理想でしょう。メーカーが自社サイトでも販売している商品をわざわざ店頭に並べても、消費者が喜ぶとは思えません。ましてや、ビジネスになるとは到底思えないのです。

一流の素材で一流の工場、一流のデザイナーが創る限定品。これが百貨店本来あるべき姿のMDです。セーター1枚とってもエルメスの工場でモンゴルの白カシミアの1番糸を使い、ラフシモンズがデザインしたカシミア100%500gの18ゲージのセーター、35万円なら100枚なら即完売でしょう。

シャネルの靴を作っているベネチアのBALLIN社で百貨店のオリジナルシューズ受注会を行ったり、cesare attoliniのスーツオーダー会を開催したり、世界の一流品の受注会ならマス商品と一線を画します。シューズは1足30万円、スーツは1着90万円です。上場企業の役員だけでなく投資家、医者・弁護士・政治家と従来の顧客以外でも、若く新進気鋭の上昇志向がある消費者なら必ず興味を引くアイテムです。

同時に祇園丸山の弁当を竹虎・渡辺竹清の竹籠弁当箱に入れ、一日10名様分だけ受注予約で販売したり、神楽坂懐石料理石川の席を年間で抑え販売する、など百貨店ならではの職へのこだわりも必要でしょう。フランスの一流ワインメーカーと協力し、wネームのワイン制作も良いかもしれません。1本10万でケース(24本)売りなどは好事家の収集品として人気に為るでしょう。

今一度、百貨店でなくては出来ないモノ造りが求められているのです。消費者は安くて便利で何処ででも買えるものを百貨店に求めているのではないのです。

食品からファッション、雑貨にリビング関連まで、自社開発が難しいアイテムも有ります。それらのアイテムはそのアイテムで世界一流品を取り扱えば良いのです。現在の百貨店は意外と世界の一流品を扱ってはいません。

しかし、他業種では扱えないラグジュアリーブランドから老舗といわれる個人商店。はたまた各取引先の先にある工場や工房、人間国宝から世界に誇れる職人達まで百貨店の隠れた財産として持っています。更にはどんな業種でも垂涎の的である超富裕層は、お金をいくら積んでも手に入れられるものではありません。

これらの財産を活用する事で、高くても永く使える、使い易い、デザインが素敵、な商品であれば間違いなく全ての消費者に受け入れられる事は間違いありません。

百貨店は現在消化仕入全盛で、リスク回避を唯一の目標にしています。その為用の無いバイヤーを一律、経験も、能力も、取引先との関係も、無視して削減しようとしています。全く無駄です。彼等彼女等のちからを今こそ活用すべきです。(無能な輩は要りませんが、経験無き若手はもっといりません)

百貨店経営層は今こそ「百貨店斯くあるべし」論を積極的に闘わして欲しいと思います。

コロナ禍後の世界 №6-1

コロナ禍で苦戦した小売業は今後どうなるでしょう?

小売業は一部の業種を除いてコロナ禍による人流抑制で売り上げが減少したかのような錯覚がありますが、コロナ禍前から大きく販売は落ち込んでいたのです。 原因は新たな新興勢力であるファストファッション、それも革命的な販売手法であるネット販売を強力に推進してきた、ユニクロ、ZARA、H&Mなどの低価格多品種型メーカーの価格競争に同じ低価格路線を選んだ無謀さ、店頭販売での売上獲得に固執し、口先だけのネット販売でほとんど真剣にネットビジネスを研究・検討してこなかったことなどが挙げられます。

しかし一番の原因は消費者のニーズを読み間違え、新しい時代に対応するモノ創りや販売手法を全く開発せず、国内の重要が減っても、インバウンドがあれば何ら問題はないと、自ら革新しなかったことが最大の原因です。

コロナ禍のせいにされてきた売上不振は、実はそれが根本的な原因では無く、不振をより鮮明にしただけのことで、実はもっと深い処に原因はあったのです。ですからコロナ禍が終焉しても、この業績不振は簡単に取り戻すことはできないのです。コロナ禍が終息すればまた元のようにインバウンドが復活し、経済が良くなるという方は多いです。確かに経済的には良いでしょうが、コロナ禍前のようなインバウンドのみに執着した売上構成は危険そのものといえるでしょう。インバウンド客を狙ったビジネスモデルが成立するのは一部の観光地と大都市のみで、地方やインバウンド客の興味を引くことは難しいでしょう。

従来衣料品は大量生産・大量販売が基本で、どんなに売れても色・サイズのバランスで必ず売れ残りが出るのです。それでも常備3割、セール3割、残品廃棄でも35%もの利益が出ていたのですが、ファストファッションが進出してきてから上代が大幅に低下したこと、セールが売れなくなったことで一挙に収支が悪化したのです。

消費者が断捨離とか環境に優しいとか、健康に気を遣うといった新しい消費動機で購買を決め、単に流行を追うだけの生活とは一線を画すように為ったことをメーカーは理解できませんでした。消費者はとりあえず安いから買うのではなく、安くても必要なければ買わない、という変化を小売業者やメーカーは認識できていませんでした

更には自分だけの為でなくもっと広い視野で家族や友達、地域や地球環境問題にまで関心を寄せ、健康に気を配り、出世より家族と一緒に入る時間を大切にし、他人との比較を人生や幸福の尺度にするのではなく、自分の生き方や信念、価値観に基づいた生活を送りたいと考えているなどとは全く理解していなかったのです。  

消費者は、化学素材、不当労働、子供労働、無駄、といったキーワードにも敏感になり商材や生産工程にまで気にし始めています。動物虐待や絶滅危機素材などは徹底して排除は当たり前になりました。毛皮よりフェイク、プラスティックボタンより貝ボタン、人工着色より天然染料などがモノ創りの基本になります。

消費者は買い方もネットがベースに為りました。消費者は試着しないと買わない、手に取って確認しないと買わない、販売員から勧められ安心する、などと言い,ネット販売に消極的な百貨店マンは良く見かけますがそれは間違いです。ネットのほうが商品量も色もサイズもフルラインで見えるのですから。しかも百貨店をはじめ実店舗販売の小売業は返品を嫌がります。サイズ交換や色交換もわざわざメーカーから取り寄せなければできないのですから、無理はないですが消費者からすれば不便極まりないですし、ネットの返品に慣れた消費者からすれば、時代遅れのサービス欠如にしか映りません。

ネット志向の小売店やメーカーは簡単に返品・交換をできるようシステムや配送体制を粛々と整備してきました。コロナ禍で普段ネットを利用しない年配客までネットに慣れ親しんだ結果、今や何の抵抗も無くネット購入を行っています。特に近所に店舗が無い地方ではなおさらその便利さに嵌っています。

それ故従来の実店舗でしか販売できない小売りは当然つぶれます。またネットで販売している商品を店頭で販売してもあまり意味がありません。わざわざ来店する意味が無いからです。ネットで販売する商材を仕入れても、メーカーのHPを見た方が掲載商品の幅も奥行きもサービスも圧倒的に多いからです。

百貨店の中にユニクロやZARAなどを導入しているケースを良く見受けますが、家賃収入以外は何の効果もありません。百貨店は集客効果を期待していますが、ユニクロやZARAに来店する消費者はそれだけで帰って行ってしまうからです。しかも不動産化は一旦景気が悪くなるとテナントは簡単に撤退してしまいます。

安易な場所貸し化ができる実店舗は大都市以外では無理ですから、安易に不動産業に業態を変えてしまうことは如何なものでしょう。コロナ禍では代表的な不動産化であった銀座sixや家賃化した百貨店各店舗は大苦戦しました。集客できない店舗ではテナントはいとも簡単に撤退してしまうからです。今や日本橋や新宿、渋谷といった伊藤地に立地する百貨店ですら空き地が目立つようになっています。

日本橋高島屋には減ったといえ未だ600人からの正社員、400人のパート社員、率を落とす原因の派遣社員が1500名ほど勤務しています。一方二子玉川を運営するデベロッパーの東神開発は全員で50名足らずです。デベロッパーですから完全家賃収入です。結果、百貨店は不動産化しても多数の余剰人員を抱えているので利益は人件費に採られてしまい利益は出にくい構造なのです。

そんな訳で各百貨店は必至で人員削減に邁進して入るのですが、どの業界も同じように優秀な社員は早々に自社に見切りをつけますが、ダメな社員ほど会社にしがみ付き、生産性は急速に落ちていくのです。しかも消化仕入※1のせいでバイイングする必要がなくなった為、バイヤーや熟練社員から首切りが行われます。結果、経験も能力も無い若手が派遣社員やパート社員の上で采配を振るうのですから、顧客サービスも糞もあったものでは無くなってしまうのです。

ではどうすべきなのでしょう?百貨店などは、実店舗をどのように活用させるべきなのでしょう?次回はこのテーマでお話します。 

コロナ禍後の世界 №5

コロナ禍が終焉すれば、世界は元どうりと考える人は10数%、ある程度しか戻らないが40数%、戻らないが40数%で大多数の人が元の世界には戻れないと考えています。(2022.01.26日経新聞)

大多数の人はこの2年間のコロナ禍生活で既成の価値観や常識、生活の基本が根底から変わりました。ある人は家族との生活を、ある人は人生を、ある人は仕事自体の将来性を考えたことでしょう。

結局どの人も今まで当たり前と考えていた生活自体を見つめ直す結果となったことは間違いありません。

今まで、より便利に、より安価に、より快適に、と進化してきた文明はいつの間にか地球環境を汚し、自然を破壊し、人生の価値基準を金儲けだけにしてしまいました。

結果、物質的には豊かな社会に為りましたが、そのために本来不必要な犠牲を多大に払っている事にコロナ禍は気付かせてくれる大きな機会となりました。

他人事であった二酸化炭素排出問題や海洋汚染問題が身近な生活に直結していることを、コロナ禍で時間に余裕ができた人々は否が応でも考え始め、世界が一丸となり脱炭素化へと大きく舵を切り、今までの産業基盤を大きく変更せざるを得ない状況に為り始めています。

利便性を求めるあまり、地球規模での環境汚染を引き起こしている事にようやく目を向ける結果となったのです。

同時にIT技術の急激な進化も社会基盤の抜本的変化を促しています。新しい技術は産業構造のみならず、単なる技術の枠を超えて生活自体の変化を推し進めています。単純に便利というのではなく、機能を利用する事により時間的、空間的に無限の広がりを与えてくれるという点では、利用しない手はありません。

今まで通販利用が主体だったネット活用策は「リモート」の普及で生活をさらに一変させました。通勤しないで仕事をするなんて誰も思いもよらなかったと思います。

一部の企業で行っていたTV会議レベルではない一般会議や業務推進が、画面を通して普通に行われることは、どれだけ効率良く、また、ストレスなく、働けるか考えるだけでワクワクします。

一方で効率のみを追求した産業構造では、危機管理という認識が無いことも判明した結果、流通における危険性という課題が大きく持ち上がっています。

企業は利益最優先で、全ての日用品を始めとするほとんどの産業が、人件費が安い(と思い込んでいる)中国に生産基地を移すか仕入れをしていたため、バブル崩壊時のトイレットペーパーが街から一斉に消えた状況を再現してしまったからです。

日本人は喉元過ぎれば何とやらで、生活に不可欠な基本商品が自国で生産されていないということに全く危機感がありませんでした。

何かあれば輸入が止まるという事にバブル崩壊で嫌というほど経験しているにもかかわらず、特に医療・衛生商品は生活に密着しているにもかかわらず、全く危機感を持っていませんでした。これが衣料なら影響はありませんが、エネルギーだったらどうなるでしょう?

それどころかウィルス対策の薬の開発ができないという現状に愕然としたものです。ウィルス薬開発は非常に資金が掛かるので、目先の利益しか見ない我が国の経営体質がそれを許してはいなかったのです。

誰もが医療分野は間違いなく一流国家と自負していたのに、保健所が未だFAXだとか、製薬会社が自社開発機能を放棄し、儲けの大きい特許の切れたジェネリック薬販売に血道をあげているとは知らなかったでは済まないのです。

噂からトイレットペーパーや消毒液、マスクにおむつまであっという間に流通から消えてしまい、必要なものが買えないという苦痛を人々は実感し、危機対策が政府任せではいけないことにも気が付きました。一流と思っていた経済が実は二流以下だったこともばれてしまいました。

特に経団連は今回の危機に対して何ら構成企業に対して明確な方針の打ち出し一つせず、ただおろおろしていただけでした。さらには日立の社長などは「リモートは効率が悪いから全員元の通勤体制に戻す」とまで言ったほど、先どころか時代が全く読めていない状況でした。国がリードする体制になく、企業も同じということはかなりショックな事です。

現在コロナの抗原検査キットが品薄で手に入らない状況が続いています(2022.01.27現在)。政府が買い取り保証を行いやっと企業も重い腰を上げ増産体制に向かっていますが、休日を返上しての24時間体制を採った企業は皆無であります。

急に人員体制が取れないとか、マスクの時と同じで生産ラインを増やしても、いずれ落ち着いたら過剰生産化してしまうのでライン増設はしないというのが企業の本音であります。企業は常に冷静に利益の事しか考えないものです。

一般の人もコロナに罹ったらしいという疑いなくして検査しても制度が悪く、陰性になった人が実は陽性という事実が30%もあるという情報を知らず、やみくもに検査して安心してるのが現状です。結果、本当に必要な病院や検査場に検査キットが不足するという事態すら招いているのです。

コロナ初期に、小池都知事や二階幹事長がコロナ禍の元凶の中国にマスクや防護服を配って、悦に入っていましたが、すぐに国内でマスクが不足し大問題に為りました。当の中国では日本向けのマスク工場を接収して潤沢に在庫があるといのに・・・・。選挙向けのアピールをしたパフォーマンスの責任は結局庶民が割を食ったのです。

今回のコロナ禍に関してはマスコミの責任も大きいものがあります。人流抑制ばかりを取り上げ、規制に背くものは悪とのキャンペーン一辺倒でした。飲食業をはじめとする人流が途絶えることで生活が成り立たない事業者が出始めると、今度は一転、画一的な政策ではいけないと手の平を返します。検査することが最重要で、検査数を増やせ増やせと煽り、検査数が増えた結果感染者数が増加した結果病床が逼迫すると今度は一般病棟での治療ができないと煽ります。基本は重傷者を最優先すべきなのに、画一的視点でしかものを見ないのがマスコミです。

問題はコロナ専門対応病院の医療が逼迫しているのは、単にベッド数ではなく、医師や看護師の不足が根本問題なのです。しかし、一般の病院に居る医師たちは全くコロナ医療に関係しておらず、何ら協力体制に組み込まれてはいないのです。医師会は補助金だけ取り、なんらこの2年間医療総動員体制を組もうとはしてこなかったのです。

このように、政治以外の民間諸団体は政治と違ってきちんと対応してくれるものだと私たち一般人はなんとなく思っていましたが、既得権益を守ることが目的の時代遅れの団体では時代に対応できないことが次第に一般人にも気付くように為ってきています。

こんな日本がコロナ禍が終焉すれば元に戻ると考えている人は、既得権益側の人か、よっぽどの〇〇でしょう。

今回のコロナ禍が終焉した時、私たちは政治や経済が二流あるいは三流で、機能不全に陥っている事を忘れてはいけません。どうも私たちは喉元過ぎればなんとやらで忘れてしまう傾向が強いですが、今回ばかりはしっかり今後の日本の方向性をきちんと見守らなくては本当の3流国になる日は遠くありません。